2月のみかづき。

2月のみかづき。

"Light the Life"  青年海外協力隊として、ラオスで英語の先生になる!編

【第95回ピースボート:104日間の地球一周の旅、出発!】

8月13日から地球一周の船ピースボートに乗船していて、2週間以上が経ちました。
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今回、念願の通訳のボランティアとしての参加です。いえーい!

乗船の1ヶ月前くらいから、週に1度通訳スタッフの勉強会に参加して、出発の前から4日間はオリエンテーションがあり、そのあと他の人より2日程早く船に乗り込み、他の乗客の人を迎えました。

 

横浜・神戸から2度出港したのですが、送る人と送られる人。カラフルなリボン。「いってらっしゃい~」「いってきます~」「ありがとう~」の声、遠ざかっていく港。すごくすごく感動しました。

 
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船は南へと進み、中国のアモイ、シンガポールミャンマーに寄港し、今はスリランカに向かっています。

 

海の上での生活も随分と慣れてきました。1000人が暮らす、小さな村のようです。その内、200人から300人くらいが海外からのお客さん。色んな言語が飛び交っていて、多言語学習には最高の環境です。やっぱりごちゃまぜって、いいなぁ。

 

通訳の仕事は、ほぼ毎日何かしらあって、予想はしていたけれど、中々に忙しい。そして最初から同時通訳をするという結構な無茶ぶり!でも、やっぱり通訳って楽しい!そしてチームで働けることが、こんなに嬉しいなんて!

これだけ色々なトピックの通訳をやらせてもらえる滅多にない機会なので、この機会を存分に味わいたいと思います。

 

通訳(CC)チーム!
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ミャンマー民主化活動家のキーン・オーンマさんのレクチャーのあと。
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船上ではあまりインターネットが使えないんですが、少しずつ船内や寄港地の様子や通訳の仕事のことなど、更新していきます。
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【UXOラオス】ルアンパバーンで、不発弾処理現場を見学してきました。

ルアンパバーンから、20分ほど離れた小さな村。

今朝見つけた不発弾の近くに爆薬を置いて「家から離れてください」とメガホンで、家に向けて、森に向けて、念入りに声をかける。

3、2、1・・・カウントダウンのあと、一気にリールを巻き、「どーーーーん」。一瞬の爆音と爆風があたりを包み、また村は静かになる。

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東南アジアにある日本の本州ほどの小さな国・ラオスに、不発弾(UXO: Unexploded Ordenance)が今でも眠っています。そしてこのUXOの処理が、1000人以上の手によって毎日行われています。そう、冒頭のような作業を毎日繰り返してる。

カンボジアの地雷は聞いたことがあったけど、こんな平和でのどかないラオスに爆弾が落とされたことがあるなんて。そしてその爆弾とともに今日も暮らしているなんて。青年海外協力隊としてラオスに来ることが決まるまで、知りませんでした。

 

UXO ラオスという団体が、年に設立され、他国の援助団体と協力しながら撤去作業にあたっています。

そして青年海外協力隊の同期隊員が、ビエンチャンUXOオフィスで働いています。

6月に彼女が、実際にルアンパバーンで、UXOを処理をする現場にいくツアーを企画してくれて、そのツアーに参加してきました。

そのとき見たことをまとめていきます。

 

UXO ラオ ルアンパバーンオフィス

町ごと世界遺産である、ラオスでも1番人気の観光地ルアンパバーン。にぎわう市内から歩いて10分ほどの場所に、UXOラオ・ルアンパバーンオフィスはあります。

今回のツアーでは、まずUXOラオのオフィスを訪れ、所長にごあいさつ。
ルアンパバーン県内の処理状況について、データ資料をもらって説明を受けます。香川から、毎年スタディツアーで高校生たちが訪れていることも知りました。

(参考:スタディツアーを行っている香川国際ボランティアーセンターの理事長が、ラオスのツアーを始めた経緯などを、こちらのインタビューでお話しています。特定非営利活動法人香川国際ボランティアセンター | 四国NGOネットワーク

 

そのあと、センターに併設されている展示室を見学しました。たくさんの種類の爆弾が、ところ狭しと並んでいます。

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ビエンチャンには、COPEセンターという、被害者の支援を主にしている団体によるセンターがあるのですが、そちらよりも生々しい。
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 人をより効果的に傷つけるため、殺すために、知恵をしぼって工夫して、どんどん改良されていく爆弾。どれだけの人とお金が、人を傷つけるために使われたんだろう。
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奥の部屋では、10分程度のビデオも上映されています。ベトナム戦争当時のケネディ大統領が「ラオスでは戦争なんてしてない」と断言している動画を、初めて見ました。こんな動画が残されていたのか。じゃあ、今のこの状態はなんなんだ、と。それか本当に知らなかったのか・・・。

Current Donors (現在のドナー)の国。今支援してくれてるけれど、その時の状況で支援がもらえたりもらえなかったりする。

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実際の処理現場へ

そのあと、車で実際の処理現場(サイト)へと向かいます。ちなみにこの車は、日本からの支援です。
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オフィスから20分ほど、3週間位ぶりの雨のなか、でこぼこがたがたとした道を行きます。ルアンパバーンで活動する隊員は通ったことのある道であったり、道の途中には、観光客が訪れる象のキャンプもあります。

途中、中国の鉄道建設現場も見かけました。ニュースでは聞いていたけれど、本当にやっているんだ!

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車が2台すれ違えないくらい狭い道を通って、サイトに到着しました。

 

UXO  発見から爆破まで

到着すると、UXOラオの職員の人たちがお出迎え。そしてまず、チームリーダーが処理手順やスケジュール等について説明してくれました。

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今回見学させてもらったサイトでは、4月から処理が始まり現在84%の処理が完了、今月には終了予定とのこと。約2ヶ月の作業です。このサイトが終わり次第、また別のサイトに移動して処理作業を行います。

 

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今回のチームは、チームリーダーとSEOD(Senior Explosive Ordinance Division)に加えて、メンバーが7人。それに加えて、医療担当の人も1人。それぞれ持ち場が決められていて、その区域の撤去をそれぞれが担当します。

1度終わったとされる場所でも、別の人によって再度確認する、毎日印をつけていく等の規定やルールが設定されています。ラオスの自分の活動先などと比べて「ほーしっかりしてるなぁ」と思ったけれど、安全・命にかかわることだもん、それは必要だよなぁ。

ルアンパバーンで撤去作業をするチームは7つありますがが、今はドナーがつかずお金が足りなくて、3チームしか稼動していません。

若い人が心なしか多いが気がしました。今回のチームにはいませんでしたが、女性だけのチームもある。

 

UXOラオスの職員には、8週間の研修を受けて、最終試験を通過するとなれます。

この道19年のベテランSEODのカムラーさんに、「(UXOのスタッフとして働くこと)怖くないの?」と聞くと、「はっはっはー、なんで怖いの?」というあっけらかんとした反応。(質問は伝わってたと思うんだけどな。。。)すごいなーーー。。。

 

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雨がやみ、早速仕事開始。

もう処理がすんでいる場所で、実際に探知機をもたせてもらいます。片手でずっと持っていなきゃいけないから、思ったよりも重い。これずっとやるの、絶対疲れる。

しかも、「UXOがあるかも・・・」って思いながらやるって、すごいストレスになりそう。「全然平気だよー」って笑っていたけれど、慣れるものなのか。

もう大丈夫だって言われていても、なんとなくこの中に入るのは怖かったです。

(親にも「処理現場見てくる」と言うと、「危なくないの?」と心配されました。そりゃ心配するか・・・。)

ライターを試しに投げてくれて、それに近づくと金属に反応して、「ピーー」っと音がします。耳があまり聞こえない人用に、振動や光で知らせてくれるなど3種類のモードがあるとのこと。この探知機も、きちんと作動していることを確認するために、1日3回作業前にチェック。

UXO処理は、20年間ほど行われているのですが、作業中に死傷者はほぼない。結果論?

 

雨がやみ、早速仕事開始。

もう処理がすんでいる場所で、実際に探知機をもたせてもらいます。片手でずっと持っていなきゃいけないから、思ったよりも重い。これずっとやるの、絶対疲れる。しかも、「UXOがあるかも・・・」って思いながらやるって、すごいストレスになりそう。「全然平気だよー」って笑っていたけれど、慣れるものなのか。

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もう大丈夫だって言われていても、なんとなくこの中に入るのは怖かったです。

(親にも「処理現場見てくる」と言うと、「危なくないの?」と心配されました。そりゃ心配するか・・・。)

ライターを試しに投げてくれて、それに近づくと金属に反応して、「ピーー」っと音がします。耳があまり聞こえない人用に、振動や光で知らせてくれるなど3種類のモードがあるとのこと。この探知機も、きちんと作動していることを確認するために、1日3回作業前にチェック。

UXO処理は、20年間ほど行われているのですが、作業中に死傷者はほぼない。結果論?

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もうちょっと奥の実際に作業を行っている方に進んでいきます。でこぼこ道。この道を作るために、最初にチェックしたんだろうなぁ。あほうな私はサンダルで行ってしまい、スニーカーを借りました。 

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行きは、雨ですべった場所に、帰るときには階段を作ってくれていました!

 

 

今朝、4つのUXOが見つかった。そこには赤い旗で目印をつけています。そのうちの2つ、実際に埋まっているUXOを見せてもらいました。

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大きさを比較するために、ペンを置いてくれたのですが、それも「ひやっ」とした。本当にこんな場所に埋まっているんだ・・・と、ぞっとする。

ここのサイトは今年の4月から処理作業がはじまったと言っていましたが、それまでもここで暮らしていた人がいて。

このサイトには、5家族25人が暮らしています。見学させてもらっているときも、ここに住む人たちがこの道を行き来したり、すぐそこで普通に畑を耕す姿があって。もし、このUXOが埋まっているところをシャベルで掘ってしまったら・・・ ロシアンルーレット。もっと皆、怒ってもいいんじゃないか、と思ってしまう。

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1日に発見されるUXOの数は、日によって様々。処理作業を開始して最初のころは、100個単位で見つかっていたこともあったそうですが、その後は40個-50個のときもあったり、今は作業も最後の方で1日あたりの発見数は少なくなってきているそうです。

 

いつもは3時に、発見したUXOを爆薬を使って爆破処理が行われますが、今日は見学にきているからと、12時ころにその処理を見せてくれることに。

 

爆破の前に、無線やメガホンを使って、住人たちに知らせます。

日々の暮らしにどれくらい影響があるのかな

(こうやって時間が変わったりすると、迷惑だよなぁ) 

(おちおちとしていられない) 

(動物たちはどうするんだろう・・・)

 

 

爆破処理

今回リールを巻いて、爆破させるのをやらせてもらいました。

発見されたUXOの場所にそれぞれ爆発装置(?)を置き、それをリールに繋げて、ブリーフィングが行われた場所で準備します。100mしか離れていない。でもそれだけ離れれば大丈夫と。

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 5、4、3、2、1 のカウントに合わせて、右周りにまわします。リールを通して電流が伝わり、3周したくらいで爆発。事前に「思ったよりも早いから気をつけて」と言われていたけれど、本当にあっという間。「もういいよ。」との声がしてすぐに、バンっと音。

 

爆破する方面を見ていた人たちは、爆風も伝わってきて、驚いていた。私は、実感のなさ、手ごたえのなさに驚きました。爆弾を落とす人もこんな感じなのかな。

自分がおとしたものが何十年も年経った今でも人を傷つけているってこと。そのことを今でもふと思ったりするのかな。もしそうだったら、そういう罪悪感をもって、ずっと過ごしていくのもしんどいだろうなぁ。

 爆発させたUXOの欠片。f:id:mikachanko4281196:20170807180732j:plain

最期にみんなで、記念撮影!

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今回のツアーは、行くのに少し迷いました。知って、見て、どうするんだろうって思って。

ルアンパバーンに行く飛行機代を、例えばUXOに募金した方が、見学にいくよりいいのかなーなんて思ったりもしながら、行きました。

自分のできること、何かないかな。。自分で出来ることよりも、体験したり知ること、そればかりが増えていくのに変な罪悪感も感じつつ。

今回感じたのは、「やっぱり怖いよ!」ってこと。安全だとは知りながらも、下手したら怪我する、命を落とすかもしれないと思いながら、毎日仕事をするって、私は想像するとしんどいよなぁと思う。もちろん長くやれば、怖い気持ちは薄れていくんだろうけれど。

でもラオスにとって、絶対誰かがやらなきゃいけないこと。爆発は一瞬、被害は一生。爆弾、落とすのは簡単だけれど、撤去するのはこんなにも何十倍もの時間とお金がかかる。

 

 

UXO ラオ ルアンパバーンオフィス情報

 

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【映画:人生フルーツ】自分で決めて自分でつくる かっこいい暮らし 

先週末に、久しぶりに東中野ポレポレにいきました。ポレポレは、2年前に「アラヤシキの住人」を見たときぶりです。今回は映画「人生フルーツ」を見るために。
この間訪れた長野県松川町は、フルーツの町でした。
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いつ頃からか、自分で自分の暮らしをつくることに、ものすごい憧れがむくむくと育っています。以前この映画の予告篇を見て、「見たいな〜でも日本に帰る頃には終わってるな〜」と思っていたら、こちらのブログで今も上映していることが分かり、いそいで劇場へ。
 
週末の午前中だったのもあり、劇場は大賑わい。20代30代の若い人も多い、60代以上の年配の方も多い。席も私が入ったときは、満席にちかく、1番前の席で見ました。
 
映画「人生フルーツ」は、愛知県春日井市にある高蔵寺に住む、建築士の修一さん90歳と 英子さん87歳の夫婦2人の日常を追ったもの。 

最初もっと(映画)っぽい柔らかい絵を予想していたら、ドキュメンタリー(テレビ)だ、なんかそのままだ、と思ったのが第一印象。

2人の過去を振り返りながら、衣・食・住を中心とした暮らしが写っています。

  
それぞれの好きなものを食べる朝食
あつあつのコロッケ
季節のフルーツをつかった手作りデザート
3日かけたベーコン
孫へおくる手作りごはん
孫のためにつくったドールハウス
手作りの黄色い看板(「アッテンションプリーズ!」)
まいにちかく絵手紙
おもちの刻印
にぎやかな国旗
 
2人とってはきっとなんでもない毎日。
それにしても2人とも、マイペースだなぁ。思わず、時々くすっ。うん、すごくいいマイペース。そのペースを壊さないで一緒に暮らしてける2人の不思議で絶妙な距離感。
 
こういう自給自足してます!という暮らしを見ると、大体ほんわかとした気持ちというか、「素敵だねぇ」という風になる。
でも2人の暮らしを見て、1番思ったのは、「かっこいい!!」ということ。 
 
愛しい、とか、潔い、とか、ていねい、とか2人の暮らしを形容する言葉は、たくさんあるんだけれど、やっぱり、かっこいい!というのが1番感じる。
なんとなく流れで今の暮らしにたどり着いたんじゃなくて、自分で考えて、決めて、つくって暮らしてきたんだろうな。ていねいな暮らしの底に、2人のめざした理想の暮らしが深く深く根付いている気がした。
 
かっこいいなぁ、かっこいいなぁ。
自分のために、自分の大切な人のために。
自分の足でたってる。自分できめて、自分の手でつくってる。
 
映画の中では、2人の暮らしの実ったところや、実り始めたところを私たちは見せてもらっているけれど、ここにくるまでの時間はどんなものだったんでしょう。
この暮らしをしようと決めて、つくる過程もみてみたかったなぁ。
 
そして映画では、修一さんが亡くなるところも映し出されています。
亡き顔、すごく自然。きれいだなぁ 安らかだなぁ、本当にお昼寝しているみたい。
長い尺で亡き顔が映される間、劇場のいろいろな場所から、すすり泣きする音が聞こえてくる。死ぬときは、私たちが決められることなんてないと思うけれど、こんな安らかな最期を見せてもらって、ああ、誰か(神さま?)やっぱり見てるんじゃないか、と思ってしまう。
 
これからの世代に受け継ぐ象徴のような、最期の仕事として関わった佐賀県にある精神科クリニック山のサントーレもすごく気になります。それを引き受けた修一さんもすごいし、修一さんに頼みにきたスタッフもすごい。1度見に行ってみたいな。
  
 
上映が終わって後ろを振り返ると、始まる前から賑やかだった若い人3人組が終わった瞬間(あーーー)と声を出して、みんなボロボロ泣いていました。
 駅まで歩くなかで、おばさまたちが(あんな死に方できたらな)なんて話していた。
みんな、それぞれのことを、感じて、映画館を出て行ったんだと思います。
 
見た人は皆、2人の暮らしにきっとすごく憧れる。
でも、そのままそっくり、まねするものではないのもきっと分かってる。
1人1人の理想はきっとちがう。
 
 
"コツコツ"
 
 
自分のやりたいこと 大事だと思うことを、誰かや組織のせいにしないで、自分の手でつくる。形にする。次につなげる。
 
未来の世代のためにできること、手渡せること。
 

「こつこつ ゆっくり」

「時をためる」 
 
20代後半の私は、「時をためる」という感覚がまだよくわからないし、怖いと思うことがある。でも、大丈夫なんだな、時間をかけて生まれてくるものがあるんだよなぁと。
 
私もかっこいい暮らしがしたいぞ。
 
 
自分からはじめることだ
土を作っていく
コツコツ
時間のかかること 
 
 
人生フルーツ。 
なんか分かるようなまだ分からないようなタイトル。笑
もっと時間が経ったら、もっと分かる・・・のかな。
 
 

 映画のこと

東中野での上映は、9月1日まで!

映画『人生フルーツ』公式サイト


ラオス”戦争”被害者の声を集めた本『ジャール平原』Voices from the plain of Jars

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被害者たちの声を集めた唯一の本

山が連なる村に、飛行機から爆弾が落とされ、人の顔が地面に埋まっている・・・。そんな生々しい絵が表紙になっている Voices from the plain of Jars という本。最初シェンクワンを訪れたときに 不発弾犠牲者の支援を行っている Quality of Life Associationと宿泊した Maly Hotel に置いてあって、気になっていたのです。

今回のシェンクワン滞在は迎えが来るまで予定がなく、のんびりしていたので、ゆっくりと読むことが出来ました。

現在ラオス国内では非売品になっていて(もったいない!)中々手に入らない&日本では目にする機会はほとんどないと思うので、本の成り立ちと内容を紹介していきたいと思います。

 

本の成り立ちと著者の Fred Brafman について

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この本の著者は、アメリカ生まれのユダヤ Fred Brafman。1966年から2年間半に渡り、ラオスビエンチャン郊外の村に暮らし、教師として働いていました。村に暮らす人々との交流を通して、すごくラオスの人たちを尊敬して、好きになっていきます。

そんな中、1971年にアメリカから来たジャーナリストに頼まれ、ビエンチャンにある難民キャンプへのインタビューへの同行・通訳を頼まれ、シェンクワンから逃げてきた人たちに出会い、彼はとても驚きます。

何の理由もなく爆撃され、心も体にも傷をおった人たちがいることに。アウシュビッツの直後、同じことが、ここでまさに起こっていることに。

ベトナム戦争があった1964年から1968年(ラオス本土では1973年まで)、ベトナムに近く共産党のリーダーたちの拠点があったシェンクワンには、アメリカからの爆撃を受けていました。この土地に住む人たちは、それを逃れようと首都ビエンチャンに避難してきていたのです。

彼は15ヶ月に渡りキャンプを訪れ、インタビューを行いました。友人であり、自身も被害者・難民であったラオス人男性に、難民たちが書いた文章や絵を集めてもらい、それをアメリカに持ち帰り、カナダに留学していたラオス人女性にフランス語で読み上げてもらい、それを英語に訳し一冊にまとめたのがこの本。1972年に出版され、約40年後の2010年に編集され再び出版されました。

出版が終わったあと、著者はワシントン D.Cに移り、ラオスで起こっている"U.S. secret war in Laos"のことを伝えてまわったり、政府に働きかけました。でも当時は誰も信じてくれない、いや信じようとしない。知ろうとしない。その間にも爆弾は落とされている。本のPart 1にはそのときの政府とのやり取りや、もどかしい気持ちも描かれていました。

そして1993年に再度ラオスを訪れ、その際に初めてシェンクワンにも足を運びました。

そのあとはこの本からはよくわからなかったのですが、環境問題の運動家として活動し、2011年の9月に72歳で亡くなりました。

 

 

"A Cry for Humanity"

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Part 2 には、爆弾が落とされた当時、ジャール平原近くに住んでいた約30人の絵や文章・詞が集められています

それぞれの作品には、作者の名前は書かれておらず、年齢と性別だけ(時々職業も)が書かれていて、下は10代から60歳まで様々な年代が、当時経験したことを各人の視点から物語っています。

その中に書かれているのは、爆弾が落とされる前の 平穏で満ち足りた暮らし (Content の言葉がよく使われてた)家族と仲間と、家畜との農業暮らし。踊りと歌と笑い、お寺とお祭り。 

突然飛行機がやってきて、爆弾を落とし始めたこと。穴、洞窟、森に隠れていたこと。ハンターから逃げるよう動物のように暮らし、動物のように殺されていったこと。

 そして、どんな風に自分の大切な人たちが亡くなったか。

買い物にいっていて、飛行機から打たれて、家の前で亡くなった祖母のこと。村ごと燃やされて、家畜の水牛と一緒に亡くなった父のこと。目の前で亡くなっていく知り合いの村人を、怖くて助けにいけなかったこと、そんな自分を責めたこと。ビエンチャンでの暮らしは 住み慣れた村の暮らしと根本的にどう違うのか。

 

"The past has melted away. Our lives have passed like a dream. There is nothing which can make up for the sorrow."(過去は溶けてなくなっていった。私たちの暮らしは、夢のように過ぎてしまっていた。この悲しみを埋め合わられることなんて、何もない。)

 

静かに誰に語られることもなく、知られることもなく亡くなっていった人たちの物語。1人1人の視点から語られているのが1つ1つのピースのようで、この理不尽な爆撃の様子が立体的に立ち上がってくるよう。

 

 If innocent pre-industrial subsistence-level rice farmers in a distant land who wished only to be left alone to till their clops and raise their families are not safe from the ravages of modern technology, who among use are?

(もし何の罪もない、その日を暮らすのが精一杯で、ただ平穏に作物を育て家族を養いたいと願う。そんな地方に住む農民たちが、現代の技術による破壊から離れて安全に暮らせないのなら、一体私たちの誰が安全に暮らせるというのでしょうか。)

 

彼らにとっては、なんの身の覚えもない爆撃。全く理由もしらされず ある日突然爆撃される。「映画かなにかのように、正体不明の生物から攻撃されたのかと思った。」の言葉から分かるように、戦争なんて彼らの日常のなかに全くなかった。

 

It was really possible for small group of leaders to wipe an entire foreign civilization off the face of the earth, and to then walk away leaving tens of millions of unexploded booms to torment their descendants for decades to come, with the world ousted neither knowing nor caring.

(他の国が知ることも気にすることもない中、ある小数のリーダーたちが、地球上から他国の文明を完全に消し去り、そしてこれからの世代をずっと苦しめ続ける何千もの不発弾をその土地に残して立ち去ることが、本当に有り得たのだ/可能だったのだ。)

 

そして怖いと思ったのは、これだけのことを、他の人が知らずに行えてしまうということ。知られずに罪に問われず、何年もきていること。そしてそのままその事実がなかったことにされてしまうかもしれないこと。

”強い”国の人間は、”弱い”国の人間をどう扱ってもいいのか。空の上から見える、地方のさりげない生活・命は、そんなにも小さなものに見えるのか。

技術が進化するに連れて、どんどん殺すことが簡単に手応えのないものになってしまうのか。autmated war。 私たちが普段、お金をかけて、色々な研究や発明をして、必死で守ろうとしている人間の命。自分と異なる人の命には、価値がないのか。

 

「なんで私たちを攻撃したの?なんで私たちの村に爆弾を落としたの?」

見えないことは、想像できないことなんだろうか。1人1人の生活、人生、家族がそこには間違いなくあった。1人1人の声、ちゃんと聞いて、想像して。

 "Cry for Humanity" の言葉がすごく響いた。私たちは皆、1人の、同じ人間です。 

 

もっと知りたい&読みたい方へ

過去に日本語にも訳されていました。販売はしていないようですが、いくつかの大学で閲覧することができます。

英語原本は、アマゾンサイトで購入も可能です。kindle版もあり。

UW Press - : Voices from the Plain of Jars Life under an Air War (SECOND EDITION) 

 

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ビエンチャン1番の人気観光スポット、COPEビジターセンターへいこう!

サバイディー!(こんにちは)

突然ですが、某有名旅行サイトでヴィエンチャン市内で一番の人気スポットってどこだか分かりますか?

パトゥーサイ?タートルアン?

いいえ、COPEビジターセンターです。

「コーピビジターセンターはビエンチャンで1位の観光名所です」

 

さて、今日はラオスに残る不発弾のこととCOPEビジターセンターという場所について書きたいと思います。

入り口のオブジェクト。これらも爆弾の残骸から作られてる。

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ベトナム戦争の”おとしもの”

ビジターセンターにある、ボンビーの模型。

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1964年から1973年にかけてベトナム戦争が起こりました。直接開戦していたわけではないラオス。しかしベトナムと国境を接して、ホーチミンルートがラオス国内にもあったのもあり、戦時中の9年間に2億6000万もの爆弾がラオス国土に落とされました

ラオス市民からしてみたら、ほんと「なんで?」ですよ。)

落とされた爆弾の内の30%(約8000万)が、予定していたように爆発せず、今も UXO(Unexploded ordnance:不発弾)として残っています

UXOは、今日もラオスの国内、北部を中心としたところに眠っています。国内・国外合わせて5つの団体が日々処理に取り組んでいます。

UXOは触らずにいれば爆発はしないのですが、子供が見つけてUXOとは知らずに投げて遊んでしまったり、農作業で土を耕している時、埋まっているのを知らずその上で調理した際などに爆発し、被害者が今でも年約300人います。

 

被害者を支える COPE 

UXOの被害者を支援する団体に、COPEがあります。(ちなみにCOPE=Cooperative Orthotic and Prosthetic Enterprise)

1997年に、ラオス政府とCMR(Center for Medical Rehabilitation)、そして海外のドナーと共に設立されました。今では全国にビエンチャンを含めて5つのオフィスがあります。

その目的として、

  1. 障害をもつ人に、理学・作業法的リハビリテーションの機会を与えること
  2. CMRのスタッフの教育・技術向上

をあげています。

支援の対象者は障害を持つ人で、UXOの被害者は全体の30%を占め、残りは交通事故など他の原因で障害を負った人やポリオやハンセン病の子供たち。

すごいのは、治療費、義足作成費、交通費・宿泊費がすべて無料だということ。その分多くの資金が必要になってくるけれど、誰でもリーチさえできれば無料で支援が受けられるんです。

(ちなみに義足は1つ100$から130$位でつくれるそう)

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ただ地方にはCOPEの存在自体を知らなかったり、COPEのオフィスまで遠くていけなかったり、家族の面倒を見なきゃいけない・恥ずかしい等様々な理由で、支援が行き届いていない現状もあり。

それをふまえて去年からカナダの支援を受けて、モバイル・ユニットという地方に出向いて支援を行う部門もはじまったそうです。

 

COPEセンター

そしてこのCOPEが2008年にオープンしたのが、このCOPEビジターセンター

啓蒙活動を目的としたセンターはUXOの被害状況・撤廃活動とCOPEの支援状況の展示をした、小さなミュージアムです

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「不発弾」ときくと、すこし硬いイメージを持つ人もいるかもしれないのですが、このセンターの展示方法がすごくセンスがあるというか、見やすく、すごくよく分かる。もちろん明るい題材ではないのですが、なんというかポップなんですよ。

 

また展示の他、ビデオ放映やお土産屋さんもあります。

ビデオも、いかにこのUXOが理不尽なものなのかよーーーーーく伝わってくるので是非見て欲しいです。(ビデオリストの1番上のもの。何も言わないとこれを見せてくれるはず)お土産やさんも、イギリス人サポーターがデザインした、皮肉のきいたポップなデザインのグッツが売られています。

またベテランでフレンドリーなラオス人の職員さんがいて、お願いすると英語で不発弾の被害状況や、COPEの支援についての簡単なプレゼンテーション・質疑応答をしてくれます。

また同じ敷地内には、病院・リハビリテーションセンター、特別支援学校、体育館が併設されていて、体育館では日本の団体の支援で車イスバスケなどの練習もやっています。

 

平日でも欧米人をはじめとする観光客が多く訪れていて、職員の説明を聞きながら「ここに来るまでラオスに爆弾が落とされていたんなんて、全然知らなかった・・・」唖然とする姿を見かけます。

せっかくラオスを訪れたのですから、少し足を伸ばしてセンターを訪れてみてはいかがでしょうか?ここに来たのと来ないのでは、ラオスへの見方が大きく変わるはず。

(きっとビエンチャンでは時間を持て余すこともあると思いますし・・・・^^;)

センターは週7日(祝日除く)、9時から18時までオープン。メコン川沿いの観光中心地から自転車やトゥクトゥクで10分〜15分ほどで行けます。
ビエンチャンに来た際は、是非時間を見つけて行ってみてください!

(あ、トイレはちょっとドキっとするかもしれないので、気をつけてください。笑)

 

COPEビジターセンターのHPはこちら。

 

 ラオスの不発弾について:参考リンク

オバマさんもラオスを訪問した際、COPEセンターにきました。

 

 

おまけ:COPEセンターで、ラオスに残る 不発弾と英語を学ぶ

最初に書いたように、外国人観光客にはよく知られているのですが、ラオス人に「COPEセンターって知ってる?」と聞くと、「名前は聞いたことあるけど、行ったことない」「知らない」という答えがほとんど。

以前別の英語のコースで、カナダ人の先生がこのCOPEセンターに、課外授業で生徒さんと来たのに参加させてもらったのです。
そのあと「はじめて知ることばかり!」「家族や知り合いにも伝えるわ」という生徒さんたちの感想を聞いて、私が担当するコースでも、1度どこかのタイミングで皆で訪れ、授業に取り入れるようにしていました。

ラオス人の職員に、英語だけで案内するようにあらかじめお願いしておくので、英語で学べるし、外国の人にも伝えられるようになる。わたしたち外国人が知るのも大事だし、ラオスの人たちが知るのも大事だよなぁ。

それにしても、ラオスの人はよく募金をします。今回も帰り際、募金ボックスに数人入れてるのを見て、私もはっとして入れました。

 

別のコースの英語の授業のフィールドトリップで初めて訪れたときの写真。

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シェンクワン結婚式旅行(後編)ジャール平原でジャンプ写真 - ノーンヘット郡での結婚式

さてさて前回に引き続き、シェンクワン結婚式旅行について書いていきます~。

 

結婚式に向かう前に、折角シェンクワンにいるんだからと、ジャール平原へと寄り道。ここは1番有名なサイト1です。

着いてそうそう、壷を見るのもそこそこにひたすら写真を撮りにいきます。主役は私たちで、壷たちはあくまで写真の背景です。世界遺産候補なんですけどねぇ。

撮影風景。

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こらこらこら。撮影に夢中で全然気づいていません。

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ジャンプ写真の失敗作の気が抜けた表情がすきです。

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あー、今度は飛び遅れたーーー!!!!!

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うーん、惜しい?

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 気を取り直して、別の場所へ移動して再チャレンジ!

とうっ

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はっ

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あらよっf:id:mikachanko4281196:20170418204023j:plain

 

ふぅ。。。(ぜぇぜぇぜぇ)満足できる写真も撮れた所で、ジャール平原をあとにします。所有時間、約30分。これもこれで楽しいけど、前回来た時にゆっくり見ておいてよかったなぁとも思いましたとさ・・・。w

https://www.instagram.com/p/BSyc5t1AtMa/

 

さて。これから今回の旅行の目的である、結婚式が行われるノーンヘットへ向かいます。ノーンヘットは、ベトナムとの国境を接するシェンクワン最東の郡です。

県都ポンサワンは、ペーク群にあります。

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さっき置いて来たスタッフをピックアップして、まずはムアンカムへ。

その前に飲み物を調達。この男の子、妹たちの面倒もみて、店番もしてたな。

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ビアラオ、ピーマイ(ラオス正月)仕様!仏暦では今年は2560年です。

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 さー、今度こそ出発!2人のスタッフが交換しながら、運転していきます。

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2時間ほどで、ムアンカムに到着。

長~~~~~い坂道。

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14:00頃、ムアンカムにあるスタッフの親戚の家に寄って、ごはんをごちそうになりました。ジャックジャンという虫!ノーマイコム(苦いたけのこ)のスープ。

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家にスヌーカーの台があってちょっと遊んで、またノーンヘットへ向けて出発。

道、ゆれるゆれる。でもそこまでひどくはない。ビエンチャンからシェンクワンの道の方が、ずっとずっとひどかったらしい。

車内爆睡。

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ぼーっと外を見ながら、道路がなかったとき。車がなかったとき。携帯がなかったとき。皆どうやってここで暮らしてたんだろう。どこにでもあるもの。生活していくのに必要なものってなんだろう、なんて考えながら車に揺られます。

 

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そして16時ちょっとすぎにノーンヘットに到着!

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他の人が泊まっているゲストハウスにお邪魔して、着替え&化粧します。

はじめて結婚式の準備を一緒にしたけれど、女子の準備は、長い・・・!その間、男性陣は、外でおやつ&飲みタイム。 

髪の毛セットやってもらったー♫ラオスの女性は、こうゆう編み込みがめっちゃ上手。

https://www.instagram.com/p/BSv-xI6gbb5/

 

 やっと終わったーーーー!パーティーに行く前に、もうへとへと。

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支度が終わった所で、18時ころ結婚式会場へ向かいます。今回の結婚式は街の市民会館のようなところの外で行われました。

今回の結婚式の招待状!いい香りがする。封筒にご祝儀をいれて、入り口にあるボックスに入れます。今回はご祝儀、皆で相談して20000kip (2500円くらい)入れました。

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会場の外にて記念撮影。山がきれい!

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男性陣もぱちり。

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主役の2人の大きな写真がお出迎え。

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「まい、おめでとう~~~!」

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入り口で写真を取り、席に座ってさっそくご飯をいただきました。

ビエンチャンだと、こういうパーティーって会場着いてから、かなり待ってからスタート&ご飯食べ始めるのですが、今回は早かったなぁ。

今回、親族のテーマカラーは赤で統一してました。

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今回1人1つ配られていた、バナナの皮に包まれたもち米。味はついてないのですが、香りが移って、めっちゃおいしいかった。これだけでいっぱい食べちゃう。小さいお粒のお米で、ビアラオゴールドはこのお米で作られています。シェンクワンのお米はすごくおいしい。 

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今回結婚した2人はモン族なので、伝統的な形でやるのかなーと思っていたら、もうモン式では花嫁の家の方でこじんまりとやって、今回は旦那さんの実家でラオス式でもう1度大きくやっていたのでした。 

それにしても皆、成り行きには無関心です(笑)色々と真ん中のステージでやっているけれど、それぞれのテーブルでのお喋りに夢中で全然聞いてない。

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ラオスの祝うこと。どこまでも形どおり。あんまり結婚式そのものには皆興味なさそうなんだけど(笑)遠くまで駆けつけることを大事にしている・・・のかな。日本の結婚式のように、全然しめっぽくならないよなぁ。余興とかもないしね。

でもやっぱり嬉しそうだ。f:id:mikachanko4281196:20170418221919j:plain

皆で記念撮影!

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以前、クラスに参加していた花嫁の弟にも再会できたー!

ああ、写真ぶれぶれだぜぃ。

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次の日の朝にルアンパバーンへ里帰りするスタッフがいるので、今日中にポンサワンに帰るぞ!ということで、19時半ころにあっという間に出発。これだけかけて来たのにもう帰るの~~~?道中酔っちゃうからと、皆お酒一滴も飲まなかった!

お先に~~~~

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夜の道、後ろからはほとんど道が見えないのですが、結構飛ばしながら、進んでいきます。この時間でも、他にも車が割と通ってます。

北部出身のスタッフは、がたがた揺れる車内で爆睡。さすがです・・・

山間に浮かぶ、満月がきれいでした。

https://www.instagram.com/p/BSxOOk0A25P/

 

21時45分、ポンサワンに到着です。本当に帰って来れたー!ずーっと運転してくれたスタッフM、本当おつかれ。文句1つ言わず運転しつづけたあなたは、めっちゃ偉いよ。

 

昨日泊まった、ゲストハウスに今夜も泊まります。それにしても、みんなと合流してから祝儀以外、1kipも使ってない。みんな出してもらってます。

 

412

朝起きて、準備。今日車でビエンチャンに帰る皆をお見送り。3日間連続の長距離運転、ファイトーーー!

私は市内のカフェで降ろしてもらい、朝ご飯&のんびり。

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そしてマーケット前の Thai Lu traditional massage へ。

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入ってから知ったのですが、このマッサージ屋さんは UXOの被害にあった人が、Quality of Life という団体のサポートでビエンチャンでトレーニングを受けて、働いているそうな。

割と若めの男性がやってくれて、私のつたないラオス語と彼の見えなさで、お互いにまさに手探り状態でマッサージを受けました。仰向け、うつぶせ、横向きのラオス語をやっと覚えた。


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3人と、目の見える女性1人。皆モン族の人で、途中スタッフ同士で話している言葉が全くわからないけれど、やわらかくて心地いい。体が”もの”になった感じ。そこにある、感覚。

仕切りがない所にベットが3つ並んでいて、あとから入って来たおじちゃんおばちゃんと「どこからきたのー?」なんて話したりしながら、しっかり1時間半くらいやってもらいました。

 すっきりしたところで、マーケットでちょっと買い物して、トゥクトゥクで空港へ向かいます。

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地図に載っていたハンディクラフトのお店は、トゥクのお兄ちゃんも一緒に探してくれたのですが、見つからず。あきらめて少しだけ寄り道して空港へ。

この間ビエンチャンの映画祭で会った、シェンクワンにあるLone Buffaloという団体のお姉さんに再会!ラオスって小さい国だよなーと、こういう時にすごく感じます。飛行機に乗ると、誰かしら知ってる人に会う!

 

出発前にざざーーーっと雨が降り出して、出発が遅れます。前回シェンクワンに来たときも、帰り雨降ってたなぁ。

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今日飛ばなかったらどうしよう・・・と心配になる中、小1時間ほど遅れて出発。無事ビエンチャンに着きました。よかったよかった。

 こんな感じのシェンクワン結婚式でした。あー、遠かったけれど約束守れて、お祝いできてよかった!本当ほぼ日記のようですが、これにて終了~~~~

(終)

 

シェンクワン結婚式旅行(前編)ーポンサワン街歩きと破壊された古都・ムアンクーンへ。

 サバイディー!ラオスから、こんにちは。

・・・ってのは嘘です。前回の記事で書いたように、もう日本にいます。w ラオスにいたときに書ききれなかった記事をいくつか書いていきます。

今回は、ラオス正月前にいった北部シェンクワン旅行記を前後編に分けて、日記形式で書いていきます。

実はシェンクワンには、前の年の11月に訪れていたんです。

なので、もう当分訪れることはないかなーーーなんて思ってたら、活動先の友達が電撃結婚することに!!!「結婚するときはいくよー」と軽い気持ちで言ってたら、本当に結婚・・・!ということで、活動先の他のスタッフと一緒に行ってきました

ラオス人との旅の感じや結婚式の様子が伝わって、ほんのりとシェンクワン旅行の参考になればと思いまっす。

 

49日(日)

ビエンチャン15:00 出発の便で、シェンクワンに向かいます。

この日のビエンチャンはめちゃくちゃ暑くて、気温は40度近くまで上がっています。早く逃げ出したい!

空港の中も暑くて、汗だらっだらになりながら待ちます。

ラオスの国内線の空港はどれも皆小さいので、手続きが済んで中にさえ入ってしまえば、あとはあっという間です。一時帰国していたシェンクワン隊員と同じ飛行機に乗り合わせて、シェンクワンに向かってひとっ飛び。

 心なしかビエンチャンーシェンクワン間は、他の県へ行くときも、機体が揺れる気がする。30分弱でシェンクワンに到着。

空港は、ビエンチャンへの折り返し便が出て1分で閉まりました。みんな早くかえりたかったんだなぁ(笑)

 

11月に引き続き、2回目のシェンクワン。

今回は前回に比べて、暖かい!小雨が降っています。それにしても、こんなにすぐに来るとは思っていなかったな。。。

 

前回も泊まったマリーホテルにチェックイン。懐かしいお姉さんとその家族。ここのホテル、こじんまりしているけどアットホームですきです。


 一息ついたあとは、歩いて町中へ。なんとなく道も覚えています。

朗らかな、まる見え床屋さん。フレンドリーで、道迷うとここで訊いてました。

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市場を覗いたりぶらぶらと。

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夕方は、インド料理屋 Nisha。前回来た時も食べたのですが、すんごく美味しい。チキンカレーに、ハーブとポテトの入ったナンを注文。

私以外のお客さんは、欧米の団体客×2グループ。中々注文取ってくれないし、料理も来ないし、お店の人無愛想だし、イライライラ。だけど、くやしいくらい、美味しい。

 

410

今日は、スタッフの皆がくるまで予定なし。 

ホテルで朝ご飯食べたあとは、メインロードから少し外れた道をぶらぶらと散歩します。

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水牛。

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少し見づらいけれど、水で遊ぶ。いまさらだけど「そうだよね、'水‘牛だもんね!」と勝手に納得。

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歩くと汗ばむ、結構暑い。縫製のお店が多い。みんなのんびり話しながら、楽しそう。

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ぐるーっと回って、メインロードへ。Quality of Life にきました。不発弾被害者の支援を行っている団体のオフィスです。わかりやすくポップに状況を伝えながら、とても可愛いハンディクラフトの商品の販売もしています。ここの商品はとても好きで、来ると何か買っちゃう。

ここの資料室で、前回気になったけれど読めなかった、ベトナム戦争中にラオスに落とされた爆弾によって被害を受けた人たちの声を集めた貴重な本 "Voices from The Plain of Jars"を読みます。 

もう販売してなくて、ここでしか読めない。

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このオフィスで働く、1年前にビエンチャンのハンディクラフトフェスティバルで会ったお姉さんに再会。写真撮ったから覚えてた!現地の協力隊と、おなじ英語学校に通っているって。やっぱり小さな町だなぁ。

 

お昼休憩、フーシェンクワン。麺が繊細でやわらかい。この辺のレストランでは、いつものレンゲじゃなくて、不発弾でできたスプーンを使ってる。

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また Quality of Life に戻って本を読み終えて、夕方ホテルに戻り、スタッフたちからの連絡を待ちます。

3人かけてみても、みんな「今電波が届かない所にいます」と、電話が通じない、、、。あああーーちゃんと来てるかなーー大丈夫かなーーーこんなに待つのってしんどいっけ。

 

5時半頃、首都まで40分位のムアンクーンというスタッフの実家がある町に着いて、「迎えにいくの明日でもいい?」と聞かれて、「えええーー寂しい!」をだだをこねて、迎えに来てもらうことに。 

40分くらい、といっていたけれど、1時間半くらいして男性陣スタッフがホテルに来てくれて、合流! きたーーーーーー!(T_T)よかったーーーーー!

 

合流したあとは、ポンサワン市内の労働組合(活動先)の学校に通う、生徒さんの家にお邪魔することに。いきなりの訪問なのに、ご飯をご馳走になりました。

おなじみのビアラオだけれど、涼しいシェンクワンで飲むから、「ビアシェンクワン」は美味しいか~?というのが定番のギャグらしい。笑

「ビアシェンクワン セープボー?(シェンクワンビールはおいしいかい?)」確かに不思議と美味しく感じる・・・!?お友達のお姉さんも一緒に。

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そのあと、レストランでもう少し飲みました。シェンクワン、こんなに若者いたのね!

日本語Tシャツはよく見るけれど、「あわただしい」は初めて見た!記念にパシャリ

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その後、市内のゲストハウスにみんなで宿泊しました。zzz

 

411

少し二日酔いなまま、昨日のお姉さんと家族と朝ご飯。メインロードの日本語でもメニューが書いてあるお店でおかゆをご馳走になります。中華風の味付けで、すごくおいしい。 

最初に写真撮るの忘れちゃった orz

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そのあと、スタッフの1人が十年も前に一緒に勉強したという友達の家へ行き、朝8時からビール。事前に連絡してなかったけれど、遠くから友達がきたー!ってことで、仕事は行かずに飲んで語る語る。

すごいな、ラオス公務員。自由だ。

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 既に酔っぱらった彼を置いて、他のスタッフを迎えにムアンクーンへ向かいます。

その家があるのは、昨日行きたいと思ってたけど行けなかったムアンクーン。スタッフの1人の実家があるとのことで行けることに。ラッキー!

 

ムアンクーンは、以前シェンクワーン県の首都でしたが、1968年に爆撃されてほぼ壊滅した街です。

ガイドブック等で見ると、もう誰も住んでいない廃墟のような街なのかと思っていたら、他の街のように人も住んでいて、人の空気がある、思ったよりも生活感のある場所でした。それでも、ふっと見ると爆弾をリサイクルして、花入れにしたりして使っているのが目に入ります。

 

他のスタッフと合流して、家のすぐ近くのタートフンに寄りました。ハウルの城みたい!なんだか不思議な魅力。昔は通りぬけ出来たそうですが、今はもう出来ないと。

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ここでもジャーーーンプ!

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お土産屋さんのおばあちゃんが、とてもフレンドリー。高地ラオ族の帽子をかぶったりして遊んでみたり。

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ここでも織物。

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そして破壊されたお寺にある、奇跡的に残った仏像を見に行きました。町の中心で、静かに佇んでいます。町が破壊されていく中、なにを見たんだろう。

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他にも破壊された病院の跡などもあるそう。もう少しゆっくり見たかったな、ムアンクーン。

そして、同じくムアンクーンにあるちょっとおじいちゃんの家に寄ります。家の中に、庭があって素敵。フルーツを取ってもらっていきます。皆当たり前のように、フルーツもぎってく。笑

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素朴系美女 ナリー。地方出身なのもあって、こういう風景がすごく似合う~~~!

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赤い奴が熟れているのです。それでも苦かったーーーーー!!!しかしか かすかす、する・・・。

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後編へつづく。

「またね、ラオス!」帰国とこれから。

サバイディー、こんにちは!
 
久しぶりの投稿になりましたが、先月末にラオスから帰国しました。
このブログを見てくださっている人もいるので、こちらでも報告させてもらいます。
 地元の空!
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おかげさまで、事故や怪我などもなく、青年海外協力隊として2年間の活動を無事に終えることが出来ました。
振り返ってみると、短いような、長いような、でもそうだよなー2年間だよなーと。(笑)あっという間なんだけれど、思い返すと、2年間分の質量がちゃんとある。
 
ラオスでは、最後の最後まで授業をしたり、イベントをしたり、ぎりぎりの引っ越しもあり、飲み会がたくさんあったりで、バタバタしていました。(首都で活動する隊員は、特に最終週忙しいいいい) 
空港には、活動先のスタッフがお見送りに来てくれました!最後までたくさん笑った!
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皆に見送られて飛行機に乗ったあとも、帰国するという実感が湧きませんでした。え!?本当に明日から、私日本にいるの!?明日からもう活動先の皆と会わないの!?って。
(しっかしバンコクの空港で食べたサーモン丼は、美味しかったなーーー。)
 
2年ぶりに帰国して、思ってた以上のカルチャーショック、というか違和感のようなものを感じました。
ラオスにいた2年間が幻だったような、今日本にいるのが幻のような。。。私がいない間も当たり前だけれど、日本でも2年間っていう時が流れていて。本当浦島太郎ってこんな感じなんだろうなぁ。
 
帰ってきてから、ラオスのことというか、いつも周りにいた人たちがいないこと、いつものように顔合わせて話したりしない。どこ歩いても顔見知りばっかりだったのに。にこってしてばっかりだったのに。ああーーーもう今は違う場所にいるのかーーーって、一気に寂しくなりました。
 

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ときどき、活動先のスタッフや生徒から、「キンカオラボー?(ご飯食べた?)」「ヘットニャンノー?(何してるの?)」なんて、ラオスにいた時のようにメッセージが来たりして、また不思議な気持ちです。
 
帰国してから、なかなかブログを更新する気になれず、気が付いたら帰国して1ヶ月が経ちました。まだ少し不思議な感じが残っていながらも(シャボン玉の中にいるみたい)、少しずつ戻ってきて順応しつつあるのも、どこか淋しい気もします。
ああー、ラオス語喋りたいなーー。
 
といいながらも、余韻に浸っていながらも、次の準備が始まりつつあります。次は、来月8月の中旬からピースボートの世界一周の旅に参加します。ラオスにいる時に試験に合格し、通訳ボランティアとして乗船することになりました!

https://www.instagram.com/p/BXDmNjrgGgJ/

実は7年前に一度この通訳ボランティアのポジションに応募して落ちていたので、今回2回目のチャレンジで叶えることが出来ました。
約3ヶ月間、船内でのレクチャーやワークショップ、寄港地でのツアーの通訳等をしながら、北半球周りで23カ国を訪れます。
今はその準備や勉強をしながら、美味しいもの食べて、懐かしい人たちや新しい家族に会ったり、(黒くなった!太ったね、ラオス人だねと言われる)ピースボートの後に繋がることを少しずつ探したりしています。
 新しい家族の一人、天(てん)!!!

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そして2年間ラオスにいる中でまたブログを書くようになったのは、とてもとてもよかったと思っています。
「書くって楽しいなーーー」「読んでもらえるって嬉しいなーーー」ってことを、久しぶりに目一杯味わえたし、ブログを通してのうれしい出会いもありました。
 
ラオスでの日常はひとまず終わってしまいましたが、まだまだ書ききれなかったラオスのことや、英語のことも書いていきたいし、これからのピースボートや通訳のこと、その他のこともマイペースに書いていこうと思うので、また読んでもらえたら、うれしいです。
 
この2年間、読んでくれてありがとうございました!
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