2月のみかづき。

【ブログ100記事達成】1年半のかたつむりペースでも、やめないで書き続けること。

バイディー!(こんにちは)

実は実は実は

昨日の記事が、このはてなブログで書きはじめて、100記事目にあたる記事でしたー!やったーーーー!!

タイ・チェンマイに旅行した時の一枚。パオーーー!ゾウってめっちゃ可愛い。。

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狙ったわけじゃないのですが、奇しくも昨日の記事で、ちょうど最初の記事をあげてから1年半目だったのです。ミラクルっ。

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ちなみに最初の記事 on 2017年1月17日。全く人に読まれることを意識していない、完全なるひとりごとでした(笑)

 

もっと伝わるように書きたい!

このブログは、伝えることを意識して書いている初めてのブログです。

学生のころから、途切れながらも mixiアメブロでブログをずっと書いてきましたが、(内容は完全な日記でした ^^;)社会人になって仕事の関係上、 facebook や ブログを書くことを控えていました。

その後、日本福祉大学スウェーデン研修と、青年海外協力隊への参加を機にまた書きはじめて。

ただ自分の思ったことをつらつらと書くだけではなく(それも好き!)、「人に伝えたい」「伝わるような文章を書きたい」と思うようになりました。

ラオスに来てから、オンラインのブログサロンに加入してみたり、ライター講座を受けたりもしました。

どちらも短期間ではありましたが、たくさんのことを学び、すこーしずつ、意識しながら書くようになってきました。

 

やめないで、書き続けること。

最初の1ヶ月〜3ヶ月くらいで、100記事達成しているブログも多い中、1年半でやっと100記事というのは、かなりのスローペースです。

そして1つ記事書くのも、とっても長くてスロー。書き始めるまでも、スロー。スローライター。

それでもやめちゃわないのは、やっぱり書くことが好き、だから。

書くことで自分の考えていることに出会えたり、ほんの少しだけれども、私が書いたことが誰かの訳にたったり、「読んでこう思ったよ」などと反応をもらえるということが嬉しくて。

のろのろの かたつむりペースでも、やめないで書いてくることが出来ました。

そりゃ、もっともっと書いて伝えるのが上手くなりたい。早く書けるようになりたい。でも「やめないで書き続ける」のがまず一番大事だなぁと思います。

ある一定の期間、更新が止まってしまっても、もう1度はじめてみる。かなり、遅い更新頻度でも「だめじゃん。」と思わず、書き続けてみる。

うまく言えないのですが、「ブログってなんだか凄いぞ」「書き続けたらなにかが変わるぞ」という確信した気持ちがあります。あと1年、ラオスに今いるからこそ見えたものを、残していきたい。

まだまだ書いてて気恥ずかしかったり、自信のなさ炸裂な記事ばっかりですが、やめないでブログを書いていってみようと思います。

 

 

途上国メディア ganas に寄稿させてもらいました!

ganasという途上国・国際協力に特化したメディアに、ラオスで行われた熊本地震チャリティイベントについて書かせてもらいました!

かなり遅くなってしまいましたが、やっと投稿することが出来ました。わーーい!
「ちゃんと伝わる」文章を書くのは本当に難しい。今回もたくさん添削してもらいました。ありがたや。

これから月に2本くらい、 ganasでラオスについて書かせてもらおうと思っています。もし良かったら、読んでみてくださいー!

 

関連記事

mikachanko.hatenablog.com

 

「第三の居場所」となるシェアハウス「ハイパーリバ邸」を応援したい!

バイディー!(こんにちは)

前回はブロガーの宮森はやとさんと話して思った「好き」について書きましたが、その他にも色々とお話させてもらいました。楽しかったー!

そんな宮森さんが今挑戦しているのは、クラウドファンディング。ネット上で出来る募金活動のようなものです。

 

”「第三の居場所」となるシェアハウス”を応援したい!

このクラウドファンディングで集まった資金を使ってシェアハウス「ハイパーリバ邸」を作ろうとしています。

リバ邸は、

・「世の中の枠組みや空気に苦しくなった人たちが集まる居場所であり、そこで各自が何かしら独自のアウトプットを追求する場所」。
・アウトプットの内容は自由で、ジャンルも規模も収益の有無も問いません。本当に自分のやりたいことを見つけ、それを形にしていく場所。
・各地のリバ邸は「現代の駆け込み寺」というコンセプトは共通していますが、地域や住民の特色に沿って、リバ邸ごとに多様な雰囲気・環境・ルールを持っています。 

要するに「自分が実現したいことを自由にアウトプットする場所」がリバ邸です。 

「シェアハウス」という形式ですが、住人だけでなく、「人生息苦しい」と感じる人たちが気軽に集まってそれぞれが好きなことをできる「第三の居場所」

私は高校時代けっこうしんどくて、行き場がなく図書館によくさぼりにいっていました。こんな場所が近くにあったら、面白かっただろうなぁ。

そんな想いもあり、私もはじめてクラウドファンディングで支援してみました。(4000円)このプロジェクトがどんな風に動いていくのが、純粋に気になるから。「支援した」と思うと、”自分事”になりますね。帰国したら、遊びに行きたい!

このリバ邸のような「第三の居場所」がどんどん当たり前にたくさん生まれていったらいいなぁ。

支援の期限はあと2日!(7月19日まで)まだまだ行けますね!

ぜひぜひ見てみてください!

 

【1日50円ブロガーの宮森さんとお話】「人を好きになる」ってこんなに簡単だった。

バイディー!(こんにちは)

突然ですが、今好きな人はいますか?

”ラブ”な好きじゃなくてもいいんです。家族でも友達でも、近所のおじちゃんでも。

今から10秒、自分の好きな人の顔を思い浮かべてみてください。

 

・・・・思い浮かびましたか?

 

1日を50円で売る、プロブロガー宮森はやとさんとお話!

なんで急にこんな話をしたかというと、ブロガーの宮森はやとさんとお話をして、思ったことがありまして。

以前からブログを読ませてもらっていたのですが、今回「1か月限定で1日50円で自分を売ります!」ということをやっていたので、思い切って買わせてもらい、skypeを通して1時間半程お話をしました。

ブログの話に始まり、最後にたどり着いた「好き」の話が1番印象に残りました。

なんでそんな話になったのかというと、以前宮森さんが「彼女じゃないけど、好きで好きで仕方ない女性がいて、その人に何年も贈り物をし続けている」という記事を書いていて。

「なんでそんなに人を好きになれるんですか?」と聞いたのがきっかけでした。

 

100%じゃなくったって、「好き」でいいんだ!

私は人のことを、好きになるのが苦手です。いや、好きになったあと、好きで居続けるのが難しいのです。

「いいなぁ」「好きだなぁ」と思っていたはずなのに、私が求めている事に合わない部分や、嫌な部分が見えてしまうと、少しずつ「好き」が薄まっていく。

そんな感じで、好きの気持ちがが70%くらいになっていくと、「これはもう好きじゃないなぁ」と思って、「好き」と言い切れなくなってしまう。

そんな中で宮森さんが「一度好きになった人のことは一生好き」と言い切ったのを聞いて、「え!?なんで?!」となりました。

宮森さんは、友人でも彼女でも家族でも、「その人のどこか1部分を好きになったら、もうその他の部分は気にしない。」「もうその1部分だけで、好きなんだ」と。

例えば友達だったら、「あいつのしたたかな部分が好き」「いつも変な話をまじめに出来るところが好き」とか。家族だったら、「お母さんのマメなところが好き」でもいいし。嫌いな部分があってもそこはそこ。どーでもいい。

これを聞いて私は、「あ、全部を好きじゃなくても好きでいいのか」と拍子抜けするくらい簡単なことかもしれないけれど、私にとっては目から鱗でした。

それだけで好きっていってOKなのか!

 

なーんだ、「人を好きになる」ってこんなに簡単だったのか。

この話をしたあと、「なんだ。それでいいのかー」と不思議な気持ちで、何度も思い出していました。

1回好きになったら、それを信じてあげればいいんだ。減らしたり、比べたりする必要なんてないし、全部を好きである必要はないんだ。

・・・好きであるっていうことは思っていたよりも自由なものなんだなぁ。

自分が嫌だと思うものを無理に好きになる必要はない。でも、好きな人が増えたら、毎日はきっとずっと楽しくなる。

 もっと自分の好きに「OK」って言ってあげたい。好きのハードルがぐっと下がったらいい。

そんな風に思いました。

 


 

【青年海外協力隊】ラオスのトンシン首相への表敬訪問の話。

バイディー!(こんにちは)

こちらラオスでは去年よりも早く雨期に入り、雨模様の日々が続いています。

今日は6月22日にあった、青年海外協力隊としてのラオス首相表敬のお話を。トンシン首相、めちゃくちゃいい人でした。

記念写真。生徒さんが、首相の facebookページで見つけて送ってくれました。

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https://www.facebook.com/ThonglounSISOULITH/

ラオス人の心の糧?カラバオライブ in ビエンチャンをレポートしてみる。

バイディー!(こんにちは)

前回の記事では、タイの国民的バンド・カラバオについて書きました。

(→ラオスでも大人気!タイの国民的バンド「カラバオ」を知ってるかい?(予習編)

そんなカラバオが、6月27日にヴィエンチャンにやってきました!(わーい)生カラバオは渋くかっこよかった。その時のライブの様子について、今日は書いていきます。

チケットは1枚、5万キープ(約600円)安い。 

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会場は、リニューアルしたショッピングモールの中!

今回のライブの会場は、ITECC(アイ・テック)というビエンチャン市内のショッピングモールの7階のコンサート会場でした。

で、でかい・・・まだテナントは全部入っていなくてスカスカ。

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ビエンチャンは首都なのですが、2つしかショッピングセンターがありません

昨年できた中国資本の”ビエンチャンモール”と、この"ITECC"の2つ。ITECCは、フランスに移住したフランス人の資本で建てられたもので、ビエンチャンモールが出来るまでは、市内唯一のショッピングセンターでした。

このITECCも、元あった建物の横に新しい建物が作られ、そちらに去年から少しずつ移転しています。

ボーリング場や映画館、小売り店がたくさん入っていたり、展示会が行われていたりといつも賑わっているITECC。旧ITECCは、サイズは大きいけれど、なんとなく地方の寂れたショッピングモールみたいで、好きでした。

久しぶりにいった新ITECCは随分と変わっていてびっくり。映画館も新しくなってるし、ビヤードパパが入っていたり(!)お店も一気に近代化!

建物の横には、大きいプール施設やHard Rock Cafeも出来ていて、たまげました。ラオスHard Rock Cafe が出来るなんて!

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Hard Rock Cafe Vientiane - Live Music and Dining in Vientiane

行ってから知ったのですが、今回のカラバオライブは、Hard Rock Cafeのオープニングイベントだったのです。

 

さぁ、ライブへ!

当日は夜8時からだったのですが、「だいたい9時過ぎにならないと始まらないよ」と言われ、近くのレストランで時間をつぶしてから出動。

レストランには同じように考えたカラバオファンらしき人たちも(迷彩の服、革ジャン、バンダナ etc)の姿もちらほらと。

万を期して、いざ会場へ。本当にちゃんと会場があるのかな・・・とちょっと不安になりながら、久しぶりのエレベーターに乗って、ITECCの七階へ。

 

入り口には、警察がたくさん出動!ラオスに来てから一番厳しい荷物検査とボディチェックを受けた気がする。女性客のためか、女性警察が多い。しかもべっぴんさん揃い。

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外では、ビールが大量に売られていて、持ち込みもOK。始まる前から皆酔っぱらい。

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そして肝心の会場は、・・・・・・おおおー!!!

予想以上のクオリティにびっくり!ひろーい。きれーい!そして人も結構入ってる。あまりラオスで人が一同に集まる機会に出くわさないので、久しぶりにこんなにまとまって多くの人を見た気がします(笑)

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始まるまでは、前座のバンドやDJや、あいさつやスポンサーの挨拶など結構ぐだぐだと長い・・・

 待ちきれずにビールの缶を次々に開ける人たち・・・9時半頃になって、ついにカラバオ登場!

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8人の大所帯バンドです。まずはMCもなく淡々と畳み掛けるように演奏していって、少しずつ盛り上がっていく会場。

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途中1度、停電になると何故か拍手が起りました(笑)

観客のほうも、最初は割とゆるーく、席移動したり、話してたり。座って静かに見ている人もいれば、ノリノリな人も。途中から立ち上がって、はじめましての人とも乾杯!

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いえーい!親指と小指を立てた拳が、”カラバオポーズ”

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後ろに座っていた美女ーず。

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ここで少しばかり動画を。2つとも短いものですが、雰囲気が伝わると、うれしいです。


Carabao concert in Vientiane (06272016) 1


Carabao Concert in Vientiane (06272016) 2

 大合唱の図。

www.youtube.com

しかし後半に向かうに連れて、どんどん会場は盛り上がっていき、皆で大合唱。おおぅ、ラオス人がこんなに1つになっているのを初めて見た気がする・・・。

ラオスでは、タイの音楽が入ってきていて皆パーティーで流れていたりして人気ですが、カラバオは違うんだ!特別なんだ!」と一緒にいった人は酔っぱらって熱弁。

前の記事にも書いたのですが、カラバオの歌は「人生の歌」と言われています。100を超える曲たちの歌詞は、政治的なものから農民の苦労など多岐に渡っていて。歌詞を聞くと、大変だった時のことや故郷のことを思い出すんだよなぁとも話していました。

だからかカラバオのコンサートがあると(特にタイの田舎)、センチメンタルになったり、感情が高まって、しかも酒が入るもんだから、喧嘩がよく起こるとも聞きました。

今回のライブでは、そんなことはありませんでしたが^^; 思い思いに、熱唱したりおどる姿を見て、改めてカラバオ人気 in ラオスを感じました。

ライブは、定番であるらしい ”ブアローイ” という曲でテンションが最高潮に上がった所で終了!にくいっ!

終了してやりきった男性陣。この男の子が最初はおとなしかったのに、最後の方はリズムに乗って踊っていてめっちゃ可愛かったー!

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11時過ぎまでライブは続き、全部で20曲位演奏されました。

カラバオ初心者の私でも知っているような定番曲もたくさん演奏されて、とても楽しめました。個人的には、1番のお気に入りの曲・タレーチャイ(海の心)を生で、しかもラオスでの大事な友達と一緒に聴けて感激ものでした。

 

音楽からその国を知る。

今までタイ・ラオスの曲ってほとんど聞いたことがなかったのですが、こちらに来てから色んな曲を聞くようになっています。レストランやパーティーでずっーーーーーーと流れているので(家にいても聞こえてくる。笑)自然とメロディーを覚えてしまう。そして結構癖になるんです。

その国の音楽を知ることって、その国を知るいいきっかけになりますよね。(カラバオはタイですが・・・)特にラオスの人たちは音楽がとても好きなので尚のこと。

しっかし、カラバオかっこいいなーーーーーーーーーー。またラオスに来ないかなーーーと帰ってきてからも余韻にひたっています。

そして歌詞がもっと分かるようになったらラオスの人たちと気持ちをもっと分かち合えるのかなぁとも思ってみたり。

ビエンチャンでは、中々ライブに行く機会がなかったけど、これからこの新 ITECCの会場でちょこちょこタイ・ラオス歌手のライブがあるみたいなので、また参戦したいです。

カラバオは、タイフェスティバルや東南アジアフェスティバル等で、結構日本にも来ているみたいなので、機会があれば是非!参戦してみてください。

 

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【青年海外協力隊】第3号報告書、でございます。

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報告書要約

活動の半分の1年が過ぎ、振り返ってみると日々の授業で一杯一杯になっていた前半であった。予定では後任が来ないことや、今のコースの状況などを鑑みて、授業だけではなく、他に出来ることを探しつつ、この先につながることを意識した後半にしていきたいと考える。 

第3号報告書では、

  1. 活動の進歩状況
  2. 着任後1年時点の活動結果と課題及び課題に対する解決策
  3. 現地支援制度活用計画
  4. 社会的格差に関する所見
  5. その他

について述べている。

 

1. 活動の進歩状況

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 活動開始から約1年が経つ。活動のメインでもある英語のコースは、第2回目が6月に始まり中盤にさしかかっている。今回は、中級コースを午後(14:00-16:00)、初級コースを夕方(16:30-18:30)の2クラスを担当している。クラスは毎週月曜日から木曜日までの週4日。
8月後半には、中間テストとしてスピーキング、ライティング、プレゼンテーションの3つのテストを行う予定。

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最初の応募人数は前回同様多かったが、レベル分けテスト後「午後は仕事でいけない」「夕方は子どもの迎えがあるからムリ」などの声があり、現在登録は中級クラスが18名、初級クラスが20名となっているが、平均出席人数は約10名から15名と前回に比べてかなり低くなっている。

今回は、教科書を2種類を使用。1つは前回と同様の「English for Lao GovernmentOfficial」と新しく「Insideout」の2冊。
それに加えてカウンターパートに協力してもらい作成した、"BasicGrammar"という音読教材を利用。また生徒に自主的に単語を調べてきてもらい授業内で発表し、それを単語帳としてまとめることを進めている。

 

 

2. 着任後1年時点の活動結果と課題及び課題に対する解決策

 英語コースに関しては、仕事の関係や家の仕事で忙しいなどの理由で欠席をする生徒も多く、中々教書が進まない状況にある。

めっちゃ出席人数が少なかったとき。教室の半分も使ってない(泣笑)

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1度活動先である本部が生徒を集め話し合いをしたことで、欠席の連絡をしっかりととること、クラス内で助けあうことなどが話し合われた。現在どのように変化するか様子を見ながら、労働組合における英語コースがどのように行われるのがよいのか、模索している。またボランティアが帰国後に、コースを継続していくのかどうするのかも話し合いを進めていく。

ほんわかアットホームな夕方クラス。

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組合内に英語を教えられるポテンシャルのある人が5名いる(同じ職場ではなく、本部・郊外の学校にて勤務。)
現在彼らとコンタクトをとりながら、すこしずつクラスに入ってもらっている。コースを教えることに関する考えを聞きながら、教えるアイディアを共有する機会をコース間に設けたいと考えている。

 

また「コースに参加出来ないが英語を勉強したい」という声が多く聞こえる中、English Lunchなどのコース外でのイベントを開催した。お金をかけずに、英語を継続して勉強できる場所を作っていきたい。そのためにどのような形でやるのが一番よいのか。8月から9月にかけて1度労働組合職員、官公庁職員を主に対象としたアンケートを実施する準備をしている。

第1回 English Lunchの様子。 

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3. 現地支援制度活用計画

 特に現在利用の予定はない。ただ現在重要単語集とアクティビティのアイディア集を作っているので、それを使う段階でもしかしたら申請するかもしれない。また活動先には教材がないため、今後のコースのありかた次第では、支援制度を利用する可能性はある。

 

4. 社会的格差に関する所見

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 子育てをしながらも公務員として働き、また時間を縫って学びにくる女性生徒たちを見ていると本当にすごいと思う。労働組合連盟の新しいトップも女性になり、官公庁での高い地位に女性がつくことも珍しくないと聞く。ただよく聞くと、全体の割合を見ると高い地位を占める割合は男性の方が高く、会議の準備や飲み会の片付けなどの細々とした仕事はやはり男性よりも女性が担うことが多いのだとも聞いた。

 またビエンチャン市内で、教育格差がこれからどんどん広がっていくのではと考える。幼稚園からカレッジまでたくさんの私立の学校がある。活動先や生徒の話を聞くに、「公立の先生はよい教育をうけていない」「公立の先生は給料分しか働かず、生徒の達成度には興味がない」など公立の学校への信頼度が低い。「英語に重点を置いているカリキュラムだから」「経験のある先生が教えているから」等の理由で、お金さえあれば子供は私立の学校へ行かせたいという人が大半を占め、会社や官公庁も私立の学校を卒業した人の方を好むと聞いた。学費は私立の方が何倍もするので、家庭の状況によって受ける教育が変わってきてしまうのではないかと思う。


5. その他特記事項

ラオス正月(ピーマイラオ)

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 4月中旬には、ラオスで1番のお祭りであるラオス正月が行われた。職場での大掛かりなパーティーや、生徒たちとのパーティー。そして、同期間のサイニャブリー・ルアンパバーンへの旅行と、色々な場所でラオス正月を楽しませてもらった。

旧都であるルアンパバーンでは、昔から続く様々な行事を織り交ぜながら、1週間かけてじっくりと、祝われていて感銘をうけた。小さい街の中に、古く伝わる大切なものが、たくさん詰まっている。それを1年に1度皆で確かめあうような1週間だった。

 

熊本チャリティーウォーキング

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6月18日に開催された熊本震災チャリティーウォーキングについて、主催者にインタビューを行い、開発メディア ganasにて記事を書かせていただいた。


COPEセンター

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コースの一環として、生徒と市内にある COPEビジターセンターを訪れるようにしている。ラオス国内における不発弾の状況を展示しているこのセンターは、観光客にはよく知られているが、ラオス人で行ったことのある人は少ない。訪れた際には、スタッフに英語での案内をお願いし、準備したワークシートを用いたアクティビティを行っている。同時に、ラオスにおける不発弾の状況を改めて知るきっかけとなればと思っている。今後も継続していきたい。

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過去の報告書


 

 

ラオスでも大人気!タイの国民的バンド「カラバオ」を知ってるかい?(予習編)

バイディー!(こんにちは)

突然ですが、カラバオってバンド、聞いたことありますか?

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ARTISTS | BIG MOUNTAIN MUSIC FESTIVAL OFFICIAL WEBSITE

 

私もラオスに来るまでは全然知らなかったのですが、こちらに来てからよーく聞くようになりました。

英語の授業内で、「どんな歌手がすき?」と聞くと、カラバオ!」

パーティーで流れて、皆が合唱しだした時「誰の曲?」と聞くと、カラバオ!」

バイクに貼ってあるステッカーの牛さんを見て「何これ?」と聞くと、カラバオ!」

 

・・・と、日常の中でよく名前は聞いていた カラバオ

気になってアルバム買って聞き始めたら、結構好きになっちゃっていた カラバオ

 

そんなカラバオが今月末、ヴィエンチャンにライブに来る!と新聞で知り、職場の皆で行くことになりました!やったーーー!

予習編としてカラバオについてちょっと書いていきたいと思います。

エネルギードリンクにもなってます。

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カラバオってどんなバンド??

カラバオは、1981年に結成されたタイのバンドです。タイ語表記は คาราบาว、英語表記は Carabao。今年でなんと活動35年目!27枚のアルバムをリリースしている、タイで知らぬ者はいないと言われている大御所バンド。

メンバーは現在は8名で、50-60代のおじさまたち。現役で今でもタイ国内や世界中をライブして回っているので、"Rolling Stones of Asia" なんて言われていたり(笑)

唯一、最初から今までメンバーなのは、作曲/作詞を担当しているボーカルのエート・カラバオ。彼がフィリピンに留学中に3人の友人と組んだバンドが、カラバオのはじまり。

バンドカラバオは、タガログ語で「水牛」という意味。バンドのマークにも使われていたり、ライブでは親指と小指をつきだして「カラバオポーズ」をするのが定番らしい。

水牛は、忍耐・重労働の象徴。

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Carabao / 画像一覧 - MusicHubz

 

なんでそんなに人気なの?

「なんでカラバオ好きなの?」と聞くと、返ってきた答えは、「プアシウィッド(人生のための歌)だから!」

タイの音楽には、この「プアシウィッド」という音楽のジャンルがあるらしく、恋愛じゃなく、人生の苦しみや学びなどを歌っています。

カラバオの歌は、社会情勢、政治腐敗、仏教の考え、環境破壊、人種などなど、本当に色んなことを題材にしていて、その多様さに驚かされます。

タイの情勢が反映された歌も多く、1つ1つの曲に強い意志を感じる。

そんな割と重い歌詞を、ノリのよいリズムで聴かせてくれるのがまたカラバオの魅力。サムチャといわれる東北タイのリズムとラテンのビートが混ざった独特のサウンドに、思わず体が動きます。

 

ちなみにカラバオは日本でも結構有名みたいで、代々木公園で行われているタイフェスティバルにも何度か出演しています。( youtubeにライブ動画がアップロードされてます。)

 

"Songs for Life!"  有名どころの曲たち

さて。そんなカラバオの有名どころの曲達を、いくつか紹介してみます。歌詞をタイ語から英語に訳しているサイトがあって、歌詞はそこのを参考にさせてもらっています。

(歌の説明は少しずつ足していきます・・・)

 

เมดอินไทยแลนด์ Made in Thailand

www.youtube.com

เมดอินไทยแลนด์ Made in Thailand | Carabao in English

イントロからわくわくしてくる。お祭りに来ているような、なんだか心の奥の方が、うずうず。しかーし、歌詞は皮肉たっぷり。

 

 

Ocean Heart (Telay Jai) ทะเลใจ

www.youtube.com

私の周りでは、「この曲が一番のお気に入り!」といっている人が多し。仏教系悟り曲。とても落ち着く。

 

Dream Chaser (Kon La Fun) คนล่าฝัน

Dream Chaser (Kon La Fun) คนล่าฝัน | Carabao in English

元気のでる応援歌!

โอ้ชีวิตมีอะไรตั้งเยอะแยะ
ôh chee-wít mee a-rai dtâng yúh yáe
Oh, life has many, many kinds of things
มีเกิดแก่เจ็บตายคล้ายๆ กัน
There is birth, aging, pain, and death similarly [in every life]
แต่สิ่งที่มีไม่เหมือนคือความฝัน
But the thing that is not the same is the dream.
อยู่ที่ใครจะล่ามันให้อยู่มือ
It’s up to the person to chase it until they have it in their hand.

 

 

The Beggar (Wanipok) วณิพก

www.youtube.com

物乞いのストーリー。

The Beggar (Wanipok) วณิพก | Carabao in English

 

ซับน้ำตา อันดามัน Sap Naam Dtaa Adaman (Absorb the Tears, Adaman Sea)

www.youtube.com

 

 

บัวลอย Bua Loy

www.youtube.com

ブア・ローイ:水に浮かぶ蓮を人に例えた歌。

บัวลอย Bua Loy | Carabao in English

 

Thailand Unite! (Samakee Pratet Thai!) สามัคคีประเทศไทย

www.youtube.com

「サマーキー」は、皆で一緒に!という意味。(ラオス語も一緒です)タイの皆、1つになろうよと呼びかけた歌。

Thailand Unite! (Samakee Pratet Thai!) สามัคคีประเทศไทย | Carabao in English

 

 

さぁ、ライブへ行こう!

どうでしたか?まだまだ私もカラバオを知ったばかりですが、すんごいバンドやなぁとしみじみ。これを読んで、カラバオに興味を持ってもらうきっかけになればと思います。Let's カラバオ

さて、これでライブの予習もばっちり!ヴィエンチャンでのライブの様子も次回書きます〜。

 

参考にさせてもらったサイト

Carabao in English | Lyrics Translations for the Band

タイ王国.com ::: スペシャル ::: THE☆タイのスター ::: カラバオ

タイ人を鼓舞し続けるカラバオの魅力とは【前編】 | バンコクナビ

 

 


 

外国語を使うのって疲れませんか? それでも”やがて哀しき外国語”と付き合っていく。

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今週はものすごーく、疲れた。

授業が始まって最初の1週目だったということもある。

だけどそれ以上に、「外国語を使うということは、こんなにもエネルギーを使うのか」と、分かっていたようで忘れていたことを体感した、1週間だった。おかげで昨日は、半日くらい寝て、本当魂が抜けたようにぼーっとしていた。 

今週は、久しぶりに担当する英語の授業が始まって、週5日クラスがあった。初めてってことでかなり気を張って話す。

飲み会が3回。

オーストラリアの先生の送迎会や見送りで、ラオス語と英語に挟まれる。

そんないつも以上に外国語に囲まれた週の最後。

金曜日の授業後の飲み会。初対面の人とラオス語でコミュニケーションを取る状況になった時、ラオス語が全然入ってこなくて泣きたくなって。「もう今週は無理だ!」と、さりげなくトイレに逃げ込んでやり過ごして、帰ってからは泥のように眠った。

 

起きてから何もやる気が起きず、思い出したように、手元にあった村上春樹さんの「やがて哀しき外国語」というアメリカに滞在していた時に書かれたエッセイ集を読んだ。

一対一で話す分にはまだそれほどの不便はないのだけれど、それが四人になり五人になり、会話が仲間うちの機関銃的ラピッド・ファイアになってくると、もう話の筋を追っていくだけでやっとである。話自体はなかなか興味深くあるのだけれど、じっと聞いていると二時間くらいで神経がくたびれて弛緩してくる。神経が弛緩してくると、集中力が低下してきて、こっちの英語もだんだんうまく出てこなくなる。ウルトラマンじゃないけれど、いわゆる「電池切れ」の症状である。外国語の会話をなさった方ならだいたいこの「電池切れ」症状を経験しておられるのではないだろうか。

この部分を読んで、「昨日の私は、まさに”電池切れ”だった!」と思わず、一人で頷いた。そうだ、この疲れきった感覚は初めてじゃない。ここまでじゃないにしても、今まで何度か感じたものだ。

 

普段あまり意識していなかったけれども、母国語で当たり前にしている簡単なことでも、外国語でやると何倍ものエネルギーを使う。

実際、外国語を喋っている時の脳は、母国語で話している時によりも何十倍も活発に働いているらしいし。常に「これは何て言うんだ」なんて考えていたりで脳は一生懸命はたらいて疲れているし、それに伴う”メンタリティ”も伝わらないもどかしさだったりで、結構つかれるものだ。

うん、伝わらないってやっぱりもどかしいもので、どこか寂しいもの。(まぁ、母国語ででも話していて、「ああ、伝わらない!」と思うことはたくさんあるだろうけれども外国語だと余計に。)ラオス語と英語を混ぜて話していると、コミュニケーションとして成り立ってはいるけれども、言葉と言葉の中間で泳いでいるようなおぼつかない気持ちにも時々なる。

 

良いも悪いもなく、外国語を使うっていうのはエネルギーを使う。

これを自覚してあげないと、エネルギーがすり減っていることに気がつかず、色々なことにイライラしてしまう。(私はそう。)

外国語を悪者にするわけじゃなくて、そう思うと「うん、じゃあちょっと休もう」と思える。

だって、誰も悪くないんだもん。ただただ、外国語使って生活してるだけで、結構エネルギー使ってるんだよなぁ、と気付いてあげる。

普段からもの凄く気分屋な私ではあるが、今週のイライラは何か底に( __________) こんな感じでずっと続いているものがあるような気がしていて。自分でも、「なんでこんなにイライラしているんだろう?」と思っていた。

「あー、今週はめっちゃエネルギー使ったんだなー」と思うようにしたら、なんとなく心の置き所が見つかったような気がする。

 

周りからは外国語使ってる=エネルギー使ってると思われたり、慰めてもらえることってあんまりない。

その分、自分ではたまに思い出した時、疲れた時にでも「そうだよね、疲れたよね」なんて思ってあげると、ちょっと楽になる気がする。自分にとってもいいし、周りにも八つ当たり(ごめんなさい)しないで済む。

エネルギーの残りが少ない時、相手の言葉で話していて、容赦なく話されると「ちょっとずるくない?もうちょっと、気ぃ遣ってよ!」って言いたくなる(笑)「こっちにはハンデがあるんだからさ。」って。うん、そうだ。言葉が出来ないっていうのは立派な(?)ハンデなんだと思う。

(そういえば国内にいながら、「英語が出来なくて、すみません」なんて、逆に謝るのは日本くらいなのかな。どうなんでしょう。)

 

もっとひどいと、「何で私だけがこんな頑張らなきゃいけないのよ」って思っちゃう。外国語を使う=がんばっている、でもいいのかもしれないけれど、(私もそう思っていた)これだと 外国語を使わない周りの人=がんばっていない、外国語を使う自分=がんばっているとなって、疲れた時に周りの人を責めたくなる。

外国語を使う=エネルギーを使うものだ、と思っておく方が、なんとなくいい気がする。

 

こちらに来て1年の私のラオス語は、なんとか意思疎通は出来たり、他の外国人から見たら「すごいね」と言われるけれども、まだまだお粗末なもの。 

外国語を話すという作業には多かれ少なかれ「気の毒といえば気の毒、滑稽といえば滑稽」部分がある。(略)英語を一生懸命話しながらふと「なんでこんなことをやってなくちゃならないのか」と思うことがある。

店の売り子に「ホワット?」と大声で聞きかえされたり、自動車修理工場へ行っておっさん相手に汗をかきながら訥々と症状の説明をしたり(ウィンカーって英語でなんていうんだっけ?)していると、ときどき自分が情けなくなってくることがある。通りを歩いている五、六歳のアメリカ人の子供がすらすらと綺麗な英語を話しているのを耳にすると、「子供でもこんなにうまく英語を話すのになあ」と思って愕然としたりする。考えてみれば当たり前の話で、いちいち愕然とすることでもないのだけれど、なんだかふとそんな風に思ってしまう瞬間があるのだ。まあ自分の意思で日本を出てきたわけだから、誰を恨むこともできないわけだけれど。

ラオスに来てすぐにしたホームステイでは、2歳の女の子よりも話せなかった(笑)(比べたら、今でもそうかも。)

エネルギーがまだ残っている時は、間違ったり変なこと言っても、一緒に笑い飛ばせたり。子供のように「教えて教えて」と学ぶことを楽しめるんだけれども。疲れている時なんかに、すんごく簡単なことも通じないと結構凹む。

夜一人で、英語とラオス語の辞書とにらめっこしてると、「私は何をしてるんだ」と思いたくなる時もある。

外国から来た他の英語の先生は、ずっと英語だけで話していて、その人に対しては皆(ラオス人)英語で頑張って話しかけたり、ちゃんと通訳つけたりしてるのに、私にはラオス語で話したり(英語でも話せるじゃん!)、通訳や説明もなかったりすると、「なんでよーーー。」と思いたくもなる。

こっちは、クラスでは、母国語じゃない英語を教えて、事務所には英語で話せるスタッフが他の先生たちにはいるのに私にはいないし、飲み会ではラオス語に巻き込まれる。クラスでも、オフィスでも、外でも、なんだ私だけ頑張らなきゃいけないのよ!と思いたくなる。

いや、本当全部自分で選んだけどさ。今週は時に帰国したオーストラリアの先生や、他の場所で教える先生と話をしていたり、今更ながらこう思っていた。

 

 だからといって、ラオス語を勉強しなきゃよかった?と思うと、それはやっぱり違うんだよなぁ。何度も書いてるけど、やっぱりラオスで生活する上で、ラオス語は勉強してきて本当によかったと思う。言葉が全てではないけれど、同じ言葉を使ってはじめて分かりあえる所、絶対ある。

  

上で引用させてもらった、村上さんのエッセイは、何ヶ月か前にタイトルに惹かれて、JICAのドミトリーから借りていたものでした。

この本の「やがて哀しき外国語」というタイトルは、僕にとってはけっこう切実な響きを持っている。本の題にしようと思ってから、折りに触れてこの言葉が僕の頭に浮かぶようになった。(中略)しかし、「哀しき」と言っても、それは外国語を話さなくてはいけないのが辛いとか、あるいは外国語がうまく話せないのが哀しいということではない。もちろん少しはそれもあるけど、それが主要な問題ではない。僕が本当に言いたいのは、自分にとって自明性を持たない言語に何の因果か自分がこうして取り囲まれている、そういう状況自体がある種の哀しみに似たものを含んでいるということだ。どうも回りくどい言い方になって申し訳ないのだが、正確に言えばそういうことになる。

(中略) 

一人の人間として、一人の作家として、僕はおそらくこの「やがて哀しき外国語」を抱えてずっと生きていくことになるだろう。それが正しいことなのか、それほど正しくないことなのか、僕にはよく分からない。非難されても困るし、褒められても(まあ褒める人もいないだろうけれど)困る。そこが僕の辿り着いたところだし、結局のところそこにしか辿り着けなかったのだから。 

そう。良いわけでも悪いわけでも、正しいわけでも正しくないわけでもない。

ただ外国語を使う時には、どこかちょっと哀しい気持ちがいつもどこかにある。”悲しい”ではない。どこか少し甘さのあるような、なんだか切ないような。上手く説明できないのだけれども。

アメリカで勉強していた時や海外に行った時、英語を学んでいた時に感じた、悔しかったり恥ずかしかったり、もどかしかったり、嬉しかったりといった色々な気持ち。

そういう経験や感情もどこか後ろにくっついているからか、この「やがて哀しき外国語」という言葉は、なんだかとってもしっくりくるものがある。上手く説明出来ないのだけれど。

言葉が全てではない。けれども、日々の多くを占める言葉。その言葉を”自分のもの”に出来ないとき。”自分のもの”が使えないとき。ああ、”自分のもの”じゃないなぁと感じるとき。(”自分のもの”ってどういうことだ)やっぱりどこか哀しく感じるんだろうか。10年とか20年の単位で外国に住んで、母国語以外の言葉で、生活の大部分を過ごしたら、どんな気持ちになるんだろう。

 

 あと1年はラオスで英語を教える上で、間違いなく外国語に囲まれながら生活していくし、そのあともきっと何らかの形で外国語と付き合っていくのだと思う。

疲れた時は、「よしよし、エネルギー使ったなぁ」と思って ちょっと慰めたり休んだり、嬉しい経験は味わいながら。息切れしないように付き合っていきたいなぁと思いましたとさ。

・・・なんて書きながら、週末フランス語を学びにいって、自らエネルギーを使いにいくという。どМか。

 

さ、また明日から!

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

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