2月のみかづき。

ブログ初め。「機嫌よくいること」は周りを自分を明るくする!

こんにちは。何度目かのブログをはじめてみようと思います。

あっっっという間に、2015年です。

今年の目標は、「できるだけ機嫌よくいること」にします。

いつでも機嫌よくいれる人は最強だなぁと思うからです。周りを自分を明るい方向へと、無理なく自然に進めていってくれるから。

そんな人に、とても憧れます。

 

やっと少し自覚出来るようになったけど、まだまだひどい、私の不機嫌さ。

そろそろ卒業出来るようにしたい。します。する。

 

そんな今年の私のお守りになりそうな文章を、昨年10月19日のほぼ日 今日のダーリンより載せさせてもらいます。 


これは、じぶんのことです。

 ぼくは、できるかぎり機嫌のいい人といっしょにいたい。
 どういうことがあっても、不機嫌な人といたら、
 そのまま近くにいても沈んでしまうばかりです。
 「さぁ、機嫌をなおして」なんて言うのは、
 とてもむつかしいことですから、
 機嫌のわるい人がいると、
 じぶんもだんだん機嫌がよくなくなります。
 
 でも、苦しいときでも、悲しいときでも、
 機嫌よくふるまえる人は、すばらしいと思います。
 「あいつはなんにも考えてないんじゃないか」とか、
 ひどいときは「ばっかじゃない?」だとか、
 「責任がないからだよ」とか言われたりもしそうです。
 でも、不機嫌にしてようが、機嫌よくしてようが、
 解決する、前に進むということにおいては、
 どちらも同じだと言えるでしょう。
 いや、不機嫌にしていると、
 手伝ってくれる人が寄ってこないかもしれない。
 だから、やっぱり機嫌よくしてるほうがいいんです。
 
 と、こういうことを言ってるじぶんが、
 なかなか、いつも上機嫌でいられません。
 ひどいときには、不機嫌を押し隠すこともなく、
 表面にあらわして空気を重くしていたりもします。
 口角をちょっとあげるだけで、
 ずいぶんいろんなことが前向きになるのに、
 それがなかなかできなかったりします。
 
 知ってるんです、わかっているんです。
 だけど、どうしても、不機嫌をあらわしてしまう。
 家の人や犬は、えらいと思います。
 こんな人間を「障らぬ神に祟りなし」とばかりに、
 ぼんやりと遠ざけつつ、空気を乱さぬようにしてます。
 やがて、機嫌のわるいぼくも、
 静かな場所でひとりになると、微笑みの練習をします。
 そう、つまり、口角をあげてみたりしはじめるのです。
 そして、翌日の原稿を書けるくらいに戻ります。
 じぶんの小ささに、あきれつつ、やがて床に入ります。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
○○さえなければ、ぼくはもっと好い老人でありましょう。」

 

機嫌よくあることについて書かれた記事。