2月のみかづき。

2月のみかづき。

"Light the Life"  青年海外協力隊として、ラオスで英語の先生になる!編

新学期に高まる子どもの自殺率のニュースを読んで 〜学校へ、いく?〜

サバイディー!

わたしの職場の人たちは、結構みんな新聞よむのすきです。

「わたしも新聞、読みたいな~」なんて職場でぼやいていたら、9月から新聞をとってくれることになりました。やったー!

 

f:id:mikachanko4281196:20150902151203j:plain

毎朝、机の上に置いてあるのがうれしい。Vientiane Timesという、英字新聞です。シンプルな英語でとても読みやすい。

ラオス国内の出来事や、他の国との関係のこと、地元のイベントなど書いてあって面白い。誰も分からんだろ!っていう40周年記念クイズとか、つっこみたくなるところも所々あるけれど。笑 ラオスのことを知れるといいなと思っています。

 

そして9月で新しくAcademic Yearが始まるのもあって、教育の話題がすごく多い。学費をこれ以上あげないように教育省が定めたり、MDGsを達成するにはみんな協力しなきゃっていうものから、奨学金を得て学校へ入れました、誰々が学校に寄付しました、などなど。

まだいまいちラオスの教育のことわかってないけど、2012-2013年で公立の小学校へ通う子供は78%から83%に上がった。この前もまた目標を達成したをお祝いする垂れ幕が市内にあった。でもまだMDGsにはまだまだ達してないらしい。(数字メモしわすれちゃった。またあとで調べて書けたら書きます)

ラオスは国としては、経済成長のために、教育に一番力を入れているような印象をいまのところ受けています。

 

このVientiane Timesには、海外の新聞からの記事もいくつかのっていてその中に、いくつか日本のもありました。お、日本だ、なんだろう、思って見てみると、新学期前後におこる学生の自殺の話でした。

f:id:mikachanko4281196:20150902151054j:plain

新学期の開始前後に、各地で子供の自殺が相次いでいる。

 内閣府の分析によると、夏休み明けの9月1日は年間を通じて子供の自殺が最も多い日で、文部科学省と各教育委員会などは、学校現場に注意を呼びかけている。

 内閣府が今年6月に取りまとめた2015年版「自殺対策白書」によれば、1972~2013年の42年間の18歳以下の自殺者を日付別に整理すると、9月1日が131人で最も多く、4月11日の99人、同月8日の95人、9月2日の94人、8月31日の92人と続き、自殺が長期休暇明け前後に多発していることが判明した。

子供の自殺が最も多い9月1日…注意呼びかけ : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

42年間の9月1日で、131人。単純計算だと、9月1日に毎年3人。この人数だと多い、、のかな。40年前からだけど、最近10年とか20年の数だともっと多いのかな。

人数的な感覚はよくわからないけれど、「学校にいきたくなくて、自殺する」っていうことと、日本語版のサイトにはのっていないけど、この新聞の記事内に今年おきた(自殺は「おきた」なのかな)4人の学生の自殺のこと(いつどこで、どのように)が淡々と書いてあって、なんかすごく自分の中に残った。

 

学校っていかなきゃだめなのかな。行かない選択肢ってないのかな。行きたくないっていえないのかな。なんでだろう。どこの国も同じなのかな?

 

この記事を読んで、高校のことを思い出した。入学したのが割と進学校だったのもあって、入学してすぐに大学に向けての勉強がはじまった。「なんで行くって決めてもないのに、それに向けて勉強しなきゃいけないの?」と、入学してそうそう、なんだかすねて、英語と体育とか自分が興味をもった授業以外は、教室にいても机の下で本を読むか、携帯いじってたり。最後の方は、学校あんまり行かないで、図書館いったりどっかに行ったりしてたなぁ。箱の中の集団生活、もうやだっていう気持ちもあったかも。

部活もやめて、禁止されてたけど、バイトジプシーで、いくつものバイトを点々としたり。(メイドカレー、コンビニ、焼き肉や、ディズニー、結婚式場、居酒屋。。。よくやったなぁ)

でも学校自体はそこまできらいじゃなくて、好きな先生や友達はいて、イベントとかすごく楽しんでた。だからなんだかんだで、辞めるっていう選択はしなかったんだよなぁ。今思うと、ただ学校のありかた?みたいなのに、納得出来なくってすごい反抗したかった、のかな。

 

そのあとアメリカ留学のために入ったNICという学校だったり、留学してから、日福大学の通信とかを通して、勉強、すごく好きになった。まぁつまらなかったり、やる気がでないのもあるけれど。

誰かに決められてやるのではなくてじぶんで選んで、新しいことを知ること、自分の考えを言葉にして伝えること、相手との違いを知ること、何かができるように分かるようになること、すごい楽しいって思えるようになった。

 

今思うと、つまんなくてももうちょっと高校の授業まじめに聞いてたり、ちがう意味みたいなのを見つけられてたら、高校から留学してたら、、とか考えることもあるけれど。でもあの時の「学校」が全てじゃないんだなともおもう。

 

私みたいな変な納得出来なくて、すねる時期とか、いじめとかの人間関係(こっちの方がたくさんあるんだろうなぁ)とか、根本的に学校っていう仕組みが合わない人とか。みんながみんな、決められた時期に決められた学校へ行くのがいいわけじゃない、というか、行きたくなくなるときってあるよなぁ。

みんなが「なんとなく行きたくないから、行かない」ってなってしまったら、それはそれで困るかもしれないけれど。もっと学校へ行かないっていう選択肢があってもいいじゃん!堂々?と、学校行かない!って選んでもいいじゃん!っておもうんだけどな。アメリカのようなホームスクーリングとかコミュニティスクールみたいな色々な形の教育とか、ここ飽きたから/合わないから別のところへ行きます、みたいな自分勝手な転校とかもっと自由に気軽にできたらいいのに。留学もその1つ?・・・先生や行政的にはめちゃくちゃ面倒くさいだろうけど。

 

みんなが学校に行くのが「あたりまえ」になるのを目指しているラオス

日本は「あたりまえ」すぎる? みんな希望すれば、学校へ行けるけれど、もし行きたくなかったら安心して行かない、もしくは違う形で勉強できるようにならないかな。

それに今の日本だったらいくらでも、大人になってから勉強できる。ネットもいっぱいあるし、1度レールから外れれば、大学にだっていける。(もっとレールに外れなくてもできるようになったらいいけど。スウェーデン!)

 

あとから思い返したり、ある程度ちがう世界がみえていれば違うけれど、子供にとっては学校がすべてな子もいるんだろうなぁ。そこでやっていけなければ、もうどこへも行けないとおもってしまう、のかな。新聞にのっていたこの1週間前後で自殺した子供たちも、ただ「学校へ行きたくない」だけじゃなくて、その他にもきっと混ざって、だったのかもしれないけれど。

親やまわりの大人の人たち(親でもない先生でもない大人の人にもっと小さいころから出会えるといいのに)が、「行かなくてもいいよ」「学校休んだって/転校したってたいしたことないよ」「いつでも行けるよ」「今じゃなくてもいいよ」とか言ってあげてほしいな。でもそれを大人が本当にそうおもって言わないと、子供もわかるよなぁ。まず大人が、そう信じる。学校って勉強って友達って大切かもしれないけど、自分がいちばん大切だよって。うーん。

 

なんか記事を見てもやもやしてしまったので、とりあえず書いてみてしまった。

学校かー。勉強かー。うーん。

 

f:id:mikachanko4281196:20150905125902j:plain

ちょうど金曜日に、日本人が活動に入ってる小学校に行かせてもらった。覚えたかけ算の歌を披露してくれている新小学一年生たち。