与える、与えられる。
昨年も、いつも以上にたーくさんたくさん、色んなものをもらった。
日本にいるときも、ラオスに来てからも。
私は何が出来たんだろう。と思ってしまう。
いや、出来たことは、きっとある。でも圧倒的にまだまだもらうことが多い。
そしてこれだけもらっておいて、もっと、くれくれと思っている私もいる。
期待しているものが、もらえないとすねている。
与える。与えられる。
ラオスの人は、この部分がすごくフラットというか、垣根が低い気がする。というか、あまり意識せず、自分がしたいようにする。
よくも悪くも、自分が良いと思ったら相手がどう考えるか考えすぎる前に、動いてる。とっても気持ちがいい。
与えられるのは楽だ。座って待っていればいい。
与えるのは、自分から動く力がいる。受け取ってもらえるか分からなくて怖い。
でも、自分で作り出す方が絶対にたのしい。「与えられるよりも、与える人になりたい」と言うと、「綺麗ごと?」と思ってしまうこともあるけれど、もらうよりも、自分が主体的な方が嬉しい、は続く。
何が出来るのか?
何がしたいのか?
24歳にもなって、まだまだ分かっていないなぁと思うと焦ってしまう。
「まだ24歳だよ」、「そんな分かってる人もいれば、分からない人もいるよ」、という人もいる。分からなくたっていいのか。
考えているだけではなく、答えが分からなくても、目の前のことを1つずつやること。不安になって、逃げてしまわないこと。
もらえるものは、有難く受け取る。いつかどこかで他の人に繋げていくこと。
口や頭の中だけではなく、実際に手を体を動かす人になる。
外に出したあとのものが、どう受け取られるかを心配しすぎて逃げてしまわず、まず自分が思ったことを形にして外に出していくこと。
その先に人がいることは忘れないけれども、どう受け取られるかは、私のコントロールの外にある。怖がりすぎない。
自分がやりたいことをやる。やることをやる、そういう1年にしたい。