2月のみかづき。

与えられるよりも、自分が動く。

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与える、与えられる。

 

昨年も、いつも以上にたーくさんたくさん、色んなものをもらった。

日本にいるときも、ラオスに来てからも。

 

私は何が出来たんだろう。と思ってしまう。

いや、出来たことは、きっとある。でも圧倒的にまだまだもらうことが多い。

 

そしてこれだけもらっておいて、もっと、くれくれと思っている私もいる。

期待しているものが、もらえないとすねている。

 

与える。与えられる。

 

ラオスの人は、この部分がすごくフラットというか、垣根が低い気がする。というか、あまり意識せず、自分がしたいようにする。

よくも悪くも、自分が良いと思ったら相手がどう考えるか考えすぎる前に、動いてる。とっても気持ちがいい。

  

与えられるのは楽だ。座って待っていればいい。

与えるのは、自分から動く力がいる。受け取ってもらえるか分からなくて怖い。

 

でも、自分で作り出す方が絶対にたのしい。「与えられるよりも、与える人になりたい」と言うと、「綺麗ごと?」と思ってしまうこともあるけれど、もらうよりも、自分が主体的な方が嬉しい、は続く。

 

 

何が出来るのか?

何がしたいのか?

 

24歳にもなって、まだまだ分かっていないなぁと思うと焦ってしまう。

「まだ24歳だよ」、「そんな分かってる人もいれば、分からない人もいるよ」、という人もいる。分からなくたっていいのか。

 

考えているだけではなく、答えが分からなくても、目の前のことを1つずつやること。不安になって、逃げてしまわないこと。

もらえるものは、有難く受け取る。いつかどこかで他の人に繋げていくこと。

口や頭の中だけではなく、実際に手を体を動かす人になる。

 

外に出したあとのものが、どう受け取られるかを心配しすぎて逃げてしまわず、まず自分が思ったことを形にして外に出していくこと。

その先に人がいることは忘れないけれども、どう受け取られるかは、私のコントロールの外にある。怖がりすぎない。

 

自分がやりたいことをやる。やることをやる、そういう1年にしたい。