村滞在の話、前回のつづきです。
村に滞在させてもらったあと、「村の人たちは貧しいんだから、何かしなきゃだめだよ」と言われたのが、帰ってきてからも、どこかに残っています。
なんでだろう、っていうのを、ちょっと考えてみました。
村の駄菓子屋さんの前で。
何で、もやもやしてるんだろう。
日本人=支援者と思われた気がして嫌&悲しかった。
1つは、これだと思う。今回、特に何にも考えずに、「ほ~楽しそう」と思って滞在させてもらった。でも、AFCの人たちは、もともと私=日本人が何か、村の人を支援するのを期待して、村に連れていったのかなぁ、と思うと何か、ちょっと嫌な気持ちになった。別にそんな風に思っている訳ではなく、言ったのかもしれないけれど。
日本人とラオス人。豊かな日本人(もしくは外国人)が貧しいラオス人を支援するっていう図が、当たり前になっていると感じることがたまにある。
もしかして村の人も、そんな風に期待して、私と関わっていたのかなぁと思うと、ちょっと悲しくなった。
”貧しい”ってなんだろう?
「よくラオスにいます。」というと、「やっぱりラオスって貧しいの?」と聞かれることがあります。
うん、多分国全体として、貧困の定義的(定義もたくさんあるけど)に、データ的にはやっぱり”貧しい”国なんだと思う。教育や医療など、まだまだ改善しなきゃいけないこと、たくさんあると思う。
(参考までに。UNDP-貧困とは)
でも、実際に首都で6ヶ月暮らしてみて、あまり「めちゃくちゃ困ってる人」をあまり見かけたことがない。
初めて首都ヴィエンチャンに来た時、物乞いの人が少ないのにとても驚いた。インドやタイ、アメリカ、カナダ、スウェーデンなど、今まで私が行ったことのある国のどこよりも少ない気がする。(もちろん場所にもよるとは思いますが)
そしてヴィエンチャンにいる物乞いの人も、切羽詰まっている感じではない。(これも、ちゃんとはよく分からないけれど)お金を稼ぐ1つの手段としてやっている、という感じ。皆多分寝る場所はあって、夜にホームレスの状態で寝ている人は、ヴィエンチャン市内ではまだ見たことがない。新宿の方が、ずっと殺伐としている。
ラオスは、食べ物が豊かにある。日本人の私が、「え!もったいない!」って思う程、躊躇なく食べ物残すし、捨てる。
そして家族の結びつきが強い。というか、家族の定義が広い。血が繋がっている親族は、離れた関係でも、必要に応じて、お互いに面倒を見合う。血がつながっていなくても1度会えば、兄弟、お母さんお父さん、と呼び合う。そして助け合う。
ほとんど知らない人でも、ご飯を食べてると、「一緒にご飯食べよう~!」と声をかけられる。すごい。
そして村の人の生活。村の人は、「貧しい」のかな。困っているのかな。
"Poor"という言葉は、英語だと「かわいそう」というニュアンスもあるので、余計に、村の人たちの姿とちぐはぐで、自分の中で上手く重ならなかった。
この村では、一人当たりの収入は月に、$50~$150くらいとのこと。(ちなみに市内の公務員が$100~$200くらい)
みんなは困っていたのかな。何か私にしてもらいたかったのかな。
村の人にしても、ラオス全体にしても、まだまだよく知れていない。今回、村の人に、「お金足りてる?なにか困ってる?」とは聞けなかった。そして私はヴィエンチャンの、しかも割と”恵まれた”立場にいる人と関わる機会が多い。地方によって、全然違うと思うから、まだまだ見ないと!知らないと!とは思う。
貧困という一般的な定義があって、それにラオスが当てはまるのはよーく分かってる。でも「貧しい」という言葉には、なんだか違和感を感じてしまうことが多い。完全に私の主観だけれども。そんな主観的な印象ではなく、客観的に見て支援するべき、ってのも分かるってるのですが。
(私は、イギリスのタウンゼントという人の「相対的剥奪」=社会の中で当然のことと思われていることが享受できていないという意味で、「貧しい」という考え方が一番しっくりきています。)
「だれが一番困っているんだろう」から「自分は何がしたいんだろう」に。
山本太郎さんが、年末年始に年越し村を訪れた時のことをを書いていた。
(未だに山本太郎さんを見ると、新撰組(大河ドラマ)の原田を思い出す。。)
前半に実際に、年越村で話した人のことが書いてある。
(少し、話からは脱線するけれど、下の部分、スウェーデンに研修に行ったときに、思ったことが書かれていて、とても共感したので、引用させてもらう。)
頑張らないなら、生産性がないなら、生きてる価値はない、って社会に政治主導で進んでる。
「そんなのあたりまえじゃね?」そう思うあなたに聞きたい。
これまであなたは何を生み出して、どの様に人様のお役にたって、どれ位、国に貢献した?その価値をどれ位の人々が認めている?
それ以外で、あなた自身が、自分は生きていても良いとした根拠は?
こんな馬鹿な質問には答えなくていい。あなたは、存在するだけで価値がある。
この国を支え合い、社会を構成する重要な存在だ。
それを認めているのが憲法だ。
どんな人でも、人としての尊厳を失わず、健康で文化的な最低限度の生活を憲法でも保障されている。それを反故にして、切り捨てを続けているのが最大の問題。
本人の努力でのみ生活を改善するには限界がある。
状況が悪くならないうちに、助けの手を差し伸べられる、制度が必要なはず。それを考えないならば、政治が存在する理由や、税金を払う意味はない。
それと大体同じ時期に、ひすいこたろうさんがメルマガでこんな風にも書いていた。
田坂広志さんの「未来を拓く君たちへ」
という本からシエアさせていただきますね。
2005年に書かれた本なんですが、いまも時代にあせることなく魂に響いてくる素晴らしい本です。
田坂さんは、日本という国はこの5つの姿をもっていると言っています。
・半世紀以上戦争のない国
・世界第二位の経済力の国(最新の名目GDPでは世界3位)
・最先端の科学技術の国
・世界一の健康長寿の国
・世界有数の高等教育の国
戦争がなく、
貧しさで飢えることもない。
そして、誰でも中学校までの教育を受けることができる。
高齢化社会の悩みだって、
平均寿命の短い発展途上国の人から見たら
夢のような贅沢な悩みです。
田坂さんはいいます。
いま世界に、この5つの姿を同時に併せ持った国があるだろうかと。
「長期の平和」
「経済の繁栄」
「最新の技術」
「先進の医療」
「高度の教育」
田坂さんはいいます。
「この日本という国は、
『現在の世界で最も恵まれた国』だ。そして、そのことは、
『人類の歴史で最も恵まれた国』であることを意味する。
我々が、この日本という国に生まれたということは
『世界で最も恵まれた人間』
その境遇に生まれたことを意味している」
「住む場所もなく路上で年を超す人がいる国」「世界で最も恵まれた国」
どっちも日本。本当のことだと思う。
曲がりなりにもソーシャルワーカーとして、日本で3年間福祉の仕事をさせてもらう中で「困ってる人」にたくさん会った。
収入、仕事がない、家族とも縁が切れてしまった人。何十年も病院から出たことがない人。家から出たくても出れない人。1日誰とも話さないで過ごす人。
半径10km以内の同じ地域に住んでいても、働くまで全然知らなかった。
もちろん皆が皆そうではないけれど、こんなに困っている人が近くにいたのか!と本当にびっくりした。(でも同時に全然そのことを知らないでいたら、と思うと、知れてよかったと思う気持ちもあった。)間違いなく、日本は豊かだけれど、同時に貧困が存在する。あまりよく見えないところで。
大変なのはどっちだ?さみしいのはどっちだ?
時々、仕事をしていて出会った人と、ラオスの人を比べてしまうことがある。もちろん、日本人 vs ラオス人全体としては比べられないんだけれども。そして比べることってあんまり意味がないとも思うんだけれど。誰が一番困ってるんだろう、たまにそんな風に考えてしまう。
ラオスが国として何かしているかというと、そんなことはなく、国の制度(社会保障)はほとんどない、といっていいと思う。もっぱら海外や国内の団体の援助に頼っている。みんな関わりの中でやっている。
日本とラオスを比べて、「ラオスの方が豊かだ!日本の方が貧しい!」なんて言う気はないのですが、「貧しい」ってなんだろう、と思うのです。
あとは、ラオスの人はやっぱりゆるくて(笑)そりゃ、そんな働き方してたら、お金稼げんよ!って思う人がいっぱいいる。(もちろん、そうじゃない人もいますよ。)
私、青年海外協力隊で来ていて、安くない税金で賄われている訳です。そのお金でラオスを始めとする途上国を支援している。日本の国民の税金で、他の国の人を支援している。日本に、貧困層にいる人がまだたくさんいる中で。
こういうODAを始めとする海外支援が日本にとっても大切なこと、途上国を支えることと日本国民を支えることは別の問題、ということは分かっているけれども、どうしても笑顔で家族と暮らしているゆとりを持っているラオス人と、誰も周りにいないで、毎日なんとかして暮らしている日本人を比べてしまう。なんだかなぁって。
ラオスの人に対してもっと頑張ろうよ、これだけお金かかってるんだから!日本にだって、あなたよりも働いてるのに、貧しい暮らししている人いるんだよ。と心のどっかで思ってしまうこと、正直ある。そんなの関係ない、ラオス人からしたら、余計なお世話じゃい、頼んでないよ。お門違い気持ちなのも重々承知だけど、ああ、こういう気持ちが自分の中で今浮かんでるなって思うことある。
持っちゃあいけない気持ちではないけれど、自分の中にあるってちゃんと自覚しなきゃいけない気持ちだ。
困っている人は世界のどこにでもいる。「誰が一番困っているか?」っていう問いよりも、「自分が何に一番関心があるのか」の方がきっと大事なんだと思う。
全部全部、なんでもかんでも出来るわけじゃない。自分の中で、一番何がひっかかるのか。何が気になるのか。何を変えたいと思うのか。
それはトピックかもしれないし(やっぱり私は”さみしさ”だ)、自分が関わった人、好きな人、場所なのかもしれない。自分が、「ここを何とかしたい」「何かしたい」と思ったところで、1人1人が出来る何かをしていく。私は、この2年間ラオスで何かをするって決めたんだよね。
私には何が出来るんだろう。
「青年海外協力隊」としてラオスにいるわけだけれども、「貧困国を助けたい!」という熱い想いをもって、応募したタイプではあまりなかった。
でもやっぱり、「ここで自分には何が出来るんだろう」っていうのは、嫌でも考えさせられる。 自分の力のなさ、影響力のなさ、経験のなさとかも思い知らされる。
例えば、本当に村の人が困っていたら、私には何が出来るんだろう。きっと出来ないこともたくさんあるけれど、出来ることもたくさんあるはず。
また会いたい!
村の人たちから、大晦日に電話が来ました。みんな、宴会で酔っぱらいでしたが(笑)色んな人が代わる代わる電話口で、「元気ー?」「またおいでよー!」なんて言ってくれて。嬉しかったなぁ。
支援するうんぬん、よりも、今は一番また会いたいなぁ、もっと知りたいなぁという気持ちが強い。また一緒にかご編んで、飲んで踊りたい。でもやっぱり出来ることがあるならしたい。3月にお祭りがあるそうなので、3月にもう一度行く予定です。
「貧しい」ってなんだろう?っていう問いに、ちゃんとまだ答えは出せていないけれど、それを考えるための2年間だとも思うので、投げてしまわないで、折に触れて考えて、言葉にしていければと思っています。
そんでもって、もちのろん、行動しなきゃですね。まずは明日の授業の準備だー!
ふぅ。長くなりました。
まずはの一歩は、ありきたりかもしれないけれど、「知ってもらうこと」と思い、今回村のこと、思ったこと書いてみました。
もしもし興味のある方いったら、一緒に行きましょう!
読んでくれて、ありがとうございました。
おまけの写真たち。
日本の支援で約50年前に建設されたナムグムダム。隣には、中国の会社が、もう1つ新しいダムを建設しています。
ダムがあるから出来た、”海”のような場所。「ここが、タレーラオ(ラオスの海)よ。」なんて笑ってた。
(左)皆で記念撮影。(右)自宅にあるこのデカトゥクを娘さんが、運転!
よい天気でした。
ナムグムダム付近では、魚がよく穫れる。
皆を見守る、このマダムの顔が好き。