2月のみかづき。

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2月のみかづき。

"Light the Life"  青年海外協力隊として、ラオスで英語の先生になる!編

英語、好きですか?なんで勉強するんだろう?英語ができることで、感じられる喜び。

思ったこと ラオス/英語

突然ですが、英語は好きですか?

 このページを見てくださっているってことは、なんらかの形で英語に興味を持っている事と思います。「英語」について最近もやっとしている事を、何回かに分けて書いてみたいと思います。1回目は、「英語ができる喜びってなんだろう」ってこと。

なつかしのアメリカにいた時の写真。キッチンシェアのアパートに住んでいました。f:id:mikachanko4281196:20160226162611j:plain

なんで英語を勉強しつづけているんだろう?

 簡単に私の英語との馴れ初めを。

 最初に英語を勉強しはじめたのは、小学6年生の時。中学校に入る前に、慣れておくために、他の教科と一緒に学研(塾)で簡単な勉強をはじめたのが始まりでした。教材の導入の漫画が面白かったのを覚えてる。

 中学では普通に勉強し、高校は国際科に進んで、そのあとはNICという留学準備の学校へ行き、アメリカで1年ちょい留学して短期大学卒業して帰国。

 そのあとは、日本で働きはじめて最初の1年、通訳の学校へ通う。そのあとは、英会話教室デビューしたり、英検の勉強したり(1級合格!)、職場で小さな英語サークルを担当したり。そして今年から、ラオスで英語を教え始めました。

 こうやって書いてみると、なんだかんだ形を変えながら、長く付き合ってきた英語。かれこれ10年以上の付き合いになります。

 でも、「英語好きなんだね」と言われると、「好き、、、かな?」とちょっと言葉に詰まる。例えば、サッカーを教えにアフリカに行っている別の協力隊の人なんかは、もうサッカーそのものが好きで好きで仕方ないっていう感じ。そういう熱意は、私にはあんまりない。

 それでも、今でも勉強しつづけてるのは、何でだろう。そう思った時に、「私は英語そのものが好き」というよりは、「英語を学んだり、使ったときに感じられる気持ち」が好きなんだ、と気づいたのです。

 自分が今教えているもの、取り組まなきゃいけないものを、あまり好きになれていないということに、どこかで不安な気持ちを持っていたので、このことに気づいた時は、「そうか!それでもいいのか!」と。そう思えて、なんか肩の荷が下りた感じ。

じゃあ、どんな時に、「英語が出来てよかった」と思うのか。改めて考えてみました。

 

世界中の人と、自分の言葉で話が出来る

 まずはなんと言っても、これです。英語が話せると、どこに行ってもコミュニケーションが取れる。もちろん地球上の全員と話せる訳ではないけれど、もうどこに行っても英語を話すことは、かなりのスタンダードになっていると思う。

 英語圏にいる時はもちろんのこと、韓国で高校生キャンプをやったとき、インドを旅して学校に泊らせてもらった時、スウェーデンでおばあちゃん達と遊んだ時。いつもコミュニケーションのツールは英語。

 そしてラオスに来てから、日本にいる時と比べものにならない位、他の国の人と会う機会が増えた。隣に住むフランス人の夫婦、一緒にランニングをする人たち、他の国のボランティアの人たち。そしてラオスの人たち。英語を話せる人はたくさんいます。まだまだラオス語が足りない中で、少し突っ込んだ話をするときは、やっぱり英語になる。

 もちろん仕事上や難しい話をするときは、通訳や他の人に頼ってもいいと思う。でも、やっぱり自分の言葉で、新しい人たちと出会えること、考えを交し合えることは、ものすごく楽しい。

意見を思いっきり、言い合える

 もともと議論好き、というか「そうだよねー」と同調しあうよりも、自分の意見を言いたい、違う意見を思いっきりぶつけられたい、と思うタイプです。それが日本語だと、中々出来なかったけれど、英語だととてもやりやすい。そう高校生辺りで感じたのが、英語を勉強する・英語で勉強するっていいなって思えた、大きなきっかけだったのかもしれないです。

 他の国の人(特に欧米)の話していると、自分の知識のなさや、意見のなさにへこまされながら、とても刺激をもらえる。それと同時に、「意見ってこんなに人によって違うんだ!」「自分の意見ってもっと言ってもいいんだ!」って思えるようになった。これは価値観としても、すごく持ててよかったと思えるもの。

日本語にはない感情を味わえる

 日本語でも英語でも、本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴くのが好きです。日本語にしかない美しさもすごく好き。その一方で、英語でしか表せない感情も感じられるようになったなと思えるとき、嬉しいです。これ説明するの難しいのですが、日本語に置き換えないで英語でそのまま、すっと自分の中に入ってきた感覚を感じられたとき。

 例えば、the Beatles が好きなのですが、ものすごく誰かを好きで好きでしょうがない気持ち。それがそのまま、すっと伝わって、「うおー!」と一緒に叫びたくなったり(笑)Tonny Bennet の歌を聞いていて、その情景が浮かんできて(すごいストーリーテラー!)その世界に入れてもらったとき。ああ、英語勉強しててよかったって、しみじみ思います。

 フレンズという海外ドラマも好きなのですが、字幕なしで見れるようになって、一気にキャラ達との距離が縮まった。(これ面白い体験だった!)そしてそしてミュージカルも好きなのですが、やはり英語で作られたものは、英語で見る方が好き。

 これは他の言語にも言えると思うのですが、語学が増えると、感じられる感情や、それを表現できる術が増える。それって、人生を通して見ると、すごい財産だと思う。

自分が成長してることが分かる

 次は少しまた違う角度のものを。他に特に長く続けているものがない私にとって、英語は自分の変化を、割とはっきり見せてくれるものになっています。成長の指標というか。(語学に対してこう思うのは、アジア圏特有なのかな??)語学に関しては、テストを受けるのが大好き。こうめらめらっと燃えるんですよね。

 語学の勉強って、地味なんですよね。時間も労力もかかるし、一種スポーツみたいなもの。しかも多くの部分は1人でやらなきゃいけない。でも、出来なかったことが、少しずつ出来るようになる。時間や労力をかけたものが、時間をかけて実を結ぶ。そういう達成感を、実感させてくれるものでもあります。

人から頼りにされる

 今回初めて気づいた気持ちはこれ。特に日本にいるときは、「英語が出来るキャラ」みたいになる事が多くて。素直に嬉しい気持ちと、本当まだまだだって悔しい気持ちが半分ずつ。どこかくすぐったいながらも、「英語教えてー」「これ何て言うの?」などと周りの人から頼られるのは、とても嬉しい。

 日本に帰国してから、仕事場で少し英語を教えたりする中で、「自分に出来ること」「人から求められるもの」の1つとして英語があることに気づいた。「自分の武器」っていうよりも、それを通して何か出来るんだってこと。だったら、もっと伸ばしたい、もっと何か出来るようになりたいって思ったのが、今回協力隊で英語を教えようと思った1つの理由だったように思う。

自分の「これから」の枠がずっと広がる

  最後の1つです。今、世界中の人が英語を勉強しようとしている。それは、英語が出来れば、きっと「もっといい未来」が手に入るから。この「もっといい未来」っていうのが、私には、ちょっと消化不良な言葉。

 でも間違いなく、英語は選択肢を広げてくれる。実際今、私がラオスにいるのは英語の”おかげ”。これから、自分がどうするか・どうなるかは正直まだ分からないです。ただ頭の中にぼんやりとある選択肢には、英語が必須のものや、あるといいものが多い。それらを「英語が出来ないから」という理由で、あきらめなくてもいい。逆に「あ、なら有利かもしれない」とも思える。

 そしてこの先、本当に本当にどうしたらいいか分からなくっても、世界のどこかでなんとかやっていけるでしょう、まぁ死にはしないでしょう、といつもどこかで思っています(笑)この変な安心感の出所は、ちょっと不明ですが、たぶん英語があるから。

 

英語が出来るっていいもんだ!

 最近、また英語の勉強のモチベーションが下がっていたので、改めて考えてみました。意外と(?)色々と出てくるもんだ。

 今教えている生徒さんで、いやいや授業に来ているのが顔にめっちゃ出てる人がいます(笑その人を見てると、私も高校の時とか、生物とか数学の時そういう顔してたんだろうなぁって。

 実際、ひねくれ高校生の時に、「なんで数学勉強するんですか?」って聞いたら、ふっと鼻で笑われたのを思い出す。その時に、どんなことでもいいから、楽しそうに何か嬉しいこと話して欲しかったなぁなんて。(まぁ、中々英語みたいに、日常に繋げるのは難しいのかもしれないけれど)

 必ずしも、皆がみんな、英語を勉強する必要はないかもしれないけど、子どもや生徒さんから、「なんで英語勉強するの?」「なんで勉強しなきゃいけないの?」って聞かれたら、「私はこう思ってる」って答えられるようになりたいとも思って、書いてみました。1つの言葉を学ぶって労力、お金、時間がかかるし、大変なこと。でもやっぱり、英語が出来るっていいもんです。

 

 その他、英語についての記事。なにか意見などもらえると、これまた嬉しいです!