2月のみかづき。

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"Light the Life"  青年海外協力隊として、ラオスで英語の先生になる!編

ラオス”戦争”被害者の声を集めた本『ジャール平原』Voices from the plain of Jars

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被害者たちの声を集めた唯一の本

山が連なる村に、飛行機から爆弾が落とされ、人の顔が地面に埋まっている・・・。そんな生々しい絵が表紙になっている Voices from the plain of Jars という本。最初シェンクワンを訪れたときに 不発弾犠牲者の支援を行っている Quality of Life Associationと宿泊した Maly Hotel に置いてあって、気になっていたのです。

今回のシェンクワン滞在は迎えが来るまで予定がなく、のんびりしていたので、ゆっくりと読むことが出来ました。

現在ラオス国内では非売品になっていて(もったいない!)中々手に入らない&日本では目にする機会はほとんどないと思うので、本の成り立ちと内容を紹介していきたいと思います。

 

本の成り立ちと著者の Fred Brafman について

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この本の著者は、アメリカ生まれのユダヤ Fred Brafman。1966年から2年間半に渡り、ラオスビエンチャン郊外の村に暮らし、教師として働いていました。村に暮らす人々との交流を通して、すごくラオスの人たちを尊敬して、好きになっていきます。

そんな中、1971年にアメリカから来たジャーナリストに頼まれ、ビエンチャンにある難民キャンプへのインタビューへの同行・通訳を頼まれ、シェンクワンから逃げてきた人たちに出会い、彼はとても驚きます。

何の理由もなく爆撃され、心も体にも傷をおった人たちがいることに。アウシュビッツの直後、同じことが、ここでまさに起こっていることに。

ベトナム戦争があった1964年から1968年(ラオス本土では1973年まで)、ベトナムに近く共産党のリーダーたちの拠点があったシェンクワンには、アメリカからの爆撃を受けていました。この土地に住む人たちは、それを逃れようと首都ビエンチャンに避難してきていたのです。

彼は15ヶ月に渡りキャンプを訪れ、インタビューを行いました。友人であり、自身も被害者・難民であったラオス人男性に、難民たちが書いた文章や絵を集めてもらい、それをアメリカに持ち帰り、カナダに留学していたラオス人女性にフランス語で読み上げてもらい、それを英語に訳し一冊にまとめたのがこの本。1972年に出版され、約40年後の2010年に編集され再び出版されました。

出版が終わったあと、著者はワシントン D.Cに移り、ラオスで起こっている"U.S. secret war in Laos"のことを伝えてまわったり、政府に働きかけました。でも当時は誰も信じてくれない、いや信じようとしない。知ろうとしない。その間にも爆弾は落とされている。本のPart 1にはそのときの政府とのやり取りや、もどかしい気持ちも描かれていました。

そして1993年に再度ラオスを訪れ、その際に初めてシェンクワンにも足を運びました。

そのあとはこの本からはよくわからなかったのですが、環境問題の運動家として活動し、2011年の9月に72歳で亡くなりました。

 

 

"A Cry for Humanity"

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Part 2 には、爆弾が落とされた当時、ジャール平原近くに住んでいた約30人の絵や文章・詞が集められています

それぞれの作品には、作者の名前は書かれておらず、年齢と性別だけ(時々職業も)が書かれていて、下は10代から60歳まで様々な年代が、当時経験したことを各人の視点から物語っています。

その中に書かれているのは、爆弾が落とされる前の 平穏で満ち足りた暮らし (Content の言葉がよく使われてた)家族と仲間と、家畜との農業暮らし。踊りと歌と笑い、お寺とお祭り。 

突然飛行機がやってきて、爆弾を落とし始めたこと。穴、洞窟、森に隠れていたこと。ハンターから逃げるよう動物のように暮らし、動物のように殺されていったこと。

 そして、どんな風に自分の大切な人たちが亡くなったか。

買い物にいっていて、飛行機から打たれて、家の前で亡くなった祖母のこと。村ごと燃やされて、家畜の水牛と一緒に亡くなった父のこと。目の前で亡くなっていく知り合いの村人を、怖くて助けにいけなかったこと、そんな自分を責めたこと。ビエンチャンでの暮らしは 住み慣れた村の暮らしと根本的にどう違うのか。

 

"The past has melted away. Our lives have passed like a dream. There is nothing which can make up for the sorrow."(過去は溶けてなくなっていった。私たちの暮らしは、夢のように過ぎてしまっていた。この悲しみを埋め合わられることなんて、何もない。)

 

静かに誰に語られることもなく、知られることもなく亡くなっていった人たちの物語。1人1人の視点から語られているのが1つ1つのピースのようで、この理不尽な爆撃の様子が立体的に立ち上がってくるよう。

 

 If innocent pre-industrial subsistence-level rice farmers in a distant land who wished only to be left alone to till their clops and raise their families are not safe from the ravages of modern technology, who among use are?

(もし何の罪もない、その日を暮らすのが精一杯で、ただ平穏に作物を育て家族を養いたいと願う。そんな地方に住む農民たちが、現代の技術による破壊から離れて安全に暮らせないのなら、一体私たちの誰が安全に暮らせるというのでしょうか。)

 

彼らにとっては、なんの身の覚えもない爆撃。全く理由もしらされず ある日突然爆撃される。「映画かなにかのように、正体不明の生物から攻撃されたのかと思った。」の言葉から分かるように、戦争なんて彼らの日常のなかに全くなかった。

 

It was really possible for small group of leaders to wipe an entire foreign civilization off the face of the earth, and to then walk away leaving tens of millions of unexploded booms to torment their descendants for decades to come, with the world ousted neither knowing nor caring.

(他の国が知ることも気にすることもない中、ある小数のリーダーたちが、地球上から他国の文明を完全に消し去り、そしてこれからの世代をずっと苦しめ続ける何千もの不発弾をその土地に残して立ち去ることが、本当に有り得たのだ/可能だったのだ。)

 

そして怖いと思ったのは、これだけのことを、他の人が知らずに行えてしまうということ。知られずに罪に問われず、何年もきていること。そしてそのままその事実がなかったことにされてしまうかもしれないこと。

”強い”国の人間は、”弱い”国の人間をどう扱ってもいいのか。空の上から見える、地方のさりげない生活・命は、そんなにも小さなものに見えるのか。

技術が進化するに連れて、どんどん殺すことが簡単に手応えのないものになってしまうのか。autmated war。 私たちが普段、お金をかけて、色々な研究や発明をして、必死で守ろうとしている人間の命。自分と異なる人の命には、価値がないのか。

 

「なんで私たちを攻撃したの?なんで私たちの村に爆弾を落としたの?」

見えないことは、想像できないことなんだろうか。1人1人の生活、人生、家族がそこには間違いなくあった。1人1人の声、ちゃんと聞いて、想像して。

 "Cry for Humanity" の言葉がすごく響いた。私たちは皆、1人の、同じ人間です。 

 

もっと知りたい&読みたい方へ

過去に日本語にも訳されていました。販売はしていないようですが、いくつかの大学で閲覧することができます。

英語原本は、アマゾンサイトで購入も可能です。kindle版もあり。

UW Press - : Voices from the Plain of Jars Life under an Air War (SECOND EDITION) 

 

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