【ラオス北部】サイニャブリーとルアンパバーン旅行を振り返るの巻。
サバイディー(こんにちは)mikakoです。
先日4月13日〜17日と、ラオス正月のお休みに合わせて、ラオス北部のサイニャブリーとルアンパバーンに旅行してきました。
旅行から帰ってきたあとに、写真を編集しながら、にやにやと振り返るのが好きです。
今回はそんな、にやにや写真たちと、5日間を振り返ろうと思います。
よかったらお付き合いくださいませ。
ルアンパバーンの端っこで夕暮れを。
まずはヴィエンチャンから、サイニャブリーへ!
今回の旅行は、最も華やかにラオス正月が祝われる、ルアンパバーンに行くのが一番の目的でした。
しかーし、私の住むヴィエンチャンからルアンパバーン間は、バスでの移動がJICAより禁止されています。理由は、道の悪さと山賊の恐れ。
しかーし、ラオスの国内線(飛行機)は競合相手がいないのもあり、かなりお値段が高い。
ということで、まずお隣のサイニャブリーを経由して、ルアンパバーンに行くことに。
地図だとこんな感じです。
(BS-TBS 地球バス紀行 より)
今回は一緒に行った、協力隊の同期の2人が計画や連絡などしてくれて、とても助かりました。
まず初日は、市内のツアー会社で予約しておいたくれたバン(ロットトゥー)で、ヴィエンチャン市内から少し離れた小さいバス停(北バスターミナルじゃなかった!)からサイニャブリーに向けて、朝8時15分頃出発。
市内からのピックアップを合わせて、180,000キープ。
バン。これはサイニャブリーから、ルアンパバーンの時のだけど。
川を渡ってヴィエンチャンからサイニャブリーへ。現在、橋が建設中。車ごと筏(いかだ)で渡る。
聞いていた通り、サイニャブリーへの道はでこぼこだったり、くねくねだったり。とてもじゃないけど、本なんて読めません。
一緒に英語教えている人がサイニャブリー出身で、「昔は道が整備されてなくて、サイニャブリーを出てヴィエンチャンの学校に行くために、船で1週間かけて行ったんだよ。」と話していました。しかも彼は30歳なので、ほんの10年ちょっと前の話。
そう思うと、道があるだけでも有り難い・・・のか。
途中でお昼休憩が一回、トイレは青空トイレ (笑) ファンキーで荒っぽいおじちゃんの運転にひやひやしたり、おしりが痛くなりながらも、無事に到着。
到着したのは、16時半過ぎだったので約7時間半の道のり。うーん、行けないことはないですが、結構大変な道のりでした。
サイニャブリーは、2月に行われる象祭りで有名です。また、水の資源が豊富でダムなどの建設・開発が盛んな県でもあります。
英語の授業で使っている教科書の中に、サイニャブリーの話題が出てきて、生徒さん達に「サイニャブリーは貧しい県だと思う?」と聞いたら、「Yes (農村でまだまだヴィエンチャンと比べると貧しい) 」「No (森林や水などの資源が豊かで将来性がある)」と答えがちょうど半分に割れたのを覚えています。
サイニャブリーでは、現地で活動する同期にお世話になりました。
協力隊には、JICAから毎月一定の金額が家賃として支給されます。首都ヴィエンチャンでは基本的にアパート暮らしですが、サイニャブリーなど地方では1人で広い一軒家が借りられる位、家賃が安い。(しかも支給額は、ヴィエンチャンよりも安い)
私が滞在したのは、県都サイニャブリー。街中の道は整備されていて広くて綺麗。前に行ったヴィエンチャン県の村と比べると、ずっと都会!各種官庁や銀行などが真ん中にぎゅっと集まっている感じ。道の広さに比べて人が少ないからか、少し寂しい感じも受けた。(みんなどこで働いてるんだろう?公務員か自営業?)
ただお祭りになると、話は別。子供たちが、道沿いにそれぞれの”陣地”を持って、道行く人に水をかけていきます。
水かけ合戦開始!
歩きながらサイニャブリーを探索していたら、たくさん襲撃を受けました。暑いから、むしろ水かけられたい!そしてたまに、道すがらにビールをもらったり。
同期が、子供文化センターで働いているので、行く先行く先で、子供たちから「アーチャン!(先生)」や名前を呼ばれているのを見て、何だかほっこり。
こういう姿を見ると、小さなコミュニティの中で、暮らすのもやっぱりいいなぁと思います。
短い滞在でしたが、現地の同期の人たちにとても良くしてもらって、(皆で食べる朝食ってなんで美味しいんだろう)少しサイニャブリーでの暮らしを見ることが出来ました。そして語尾が上がる、北部訛りのラオス語、可愛い・・・。
他の隊員の職場で、キンビア(飲み会)とペタングに参加させてもらう。ビールは罰ゲーム用・・・
県都サイニャブリーで1番(?)の見所というアヌサワリー。日本語だと、戦勝記念塔。戦争で亡くなった人たちが眠る。
いざ世界遺産の街、ルアンパバーンへ!
そして2日目の夕方に、またサイニャブリーのバス停からバンでルアンパバーンへ向かいました。
値段は、50,000キープ。途中で焼き畑の様子などを横目に見ながら、山の中の道を行きます。うとうとしていたら、思ったよりも早く2時間足らずで到着。
ルアンパバーンでも、ここで働く同期にお世話になりながら、市内のゲストハウスに宿泊。
到着した次の日は、あまり新年のイベントはないとのことで、早速クアンシーの滝へ行きました。これまたバンにて4人で200,000キープ。
「新年で人が少ないかな・・・」と思ったら、大間違い!たーくさんの人で賑わっていました。
クアンシーの滝へ向かう道。山の前のお土産屋さんの通りみたい。
道中で買ったラオス料理でピクニックして、滝で泳いで、飛び込みに挑戦して、綺麗な流れを見て。(エメラルド!)色んなものが、すっかり満たされました。
滝へ飛び込む。飛び込んだあとが怖かったけど、(泳げない)楽しかったー!
そして街の中は、ラオス正月・もとい水かけ祭りの真っ最中。歩いていると、そこらじゅうに水をかける準備して待ち受ける人たちが・・・。サイニャブリーよりも、人数が多い!心なしか年齢層が高い!たちが悪い!(笑)
濡れた服を乾かす。乾かしても乾かしても、濡れるのよ。
水鉄砲を使った鉢植え。
ルアンパバーンの半島の先っちょのカフェにて。
昼間はとっても賑やかなルアンパバーンでしたが、夜は静か。いつもながらこのギャップが不思議で面白い。
そして光も少ないからか、街は暗め。お寺の多い通りを歩くと、お坊さんが鐘を鳴らす音が聞こえてきます。17日からが新年とのことなので、除夜の鐘・・・だったのかなぁ。
灯りが皆暖かい色で、きれい。
新年のイベントについては、また別の記事に書きます。
夜の国立博物館の前で行われた、伝統舞踊と演劇。
カフェのテラス席から、プーシーの丘を。
メイン通りでは、外国人もいーっぱい。ラオス人もいーっぱいで、水かけ合戦がもうずーっと続いていました。荷台付きの車に乗ってその上からかける人、道端で待ち構える人。
歩いていたら、ルアンパバーン出身の元生徒さんに会って参戦させてもらい、道行く人へ水をかけまくる。かけられるのもいいけど、かけるのも楽しいことが判明。
小さい街でお祭りの時期だからか、意外にも知り合いによく会いました。
メイン通り。すごい人と水。もう何が何だか分からなくなる(笑)
そんな喧噪の合間にも、せっかくなので観光も。ルアンパバーンのシンボルともいわれる、ワットシェントーンは、本当に本当に綺麗だった。
多くの人の強い気持ちがこもった場所の持つパワーってすごい。もう一度訪れたい。
お供え物。ヴィエンチャンよりもカラフル?お正月仕様?
北部の名物・カオソーイ(甘辛味噌きしめん?)も3回食べる。お店によって全然味が違う。
織物をはじめとする工芸品も盛んなルアンパバーン。買い物も、すごく充実していました。これもまたお土産編で詳しく。
ラオスの王朝文化とフランス植民地時代の文化が混ざり合ったまま、街ごと保存されている。歩くだけで楽しかった。
ルアンパバーンには3泊4日したのですが、 あっという間で、「あーー時間がもっと欲しい」「またゆっくり来たい」と、帰る前から未練たらたら。
ラオス一の観光名所である、ルアンパバーン。賑やかで静かで、古くて新しい。不思議な魅力。その人気の理由が分かった気がします。
帰りは、ルアンパバーンからヴィエンチャンへ国内線。久しぶりの飛行機。持ち帰った壺酒でいろいろとありつつも、時間通りに出発&到着。窓口で予約してくれて、お値段約110ドル。(もうちょっと安かったらなぁ)
45分とフライト時間はあーっという間。買ったサンドイッチがぎりぎり食べ終わりました。しかも快適。あー、時間ってお金で買えるのね・・・と思いました。
今回は、サイニャブリーで地元ならではの、ルアンパバーンで華やかで賑やかなラオス正月を楽しめた旅行になりました。来年はどうしようかなぁ。
ルアンパバーンのことは、また別の記事に書いていきます。ルアンパバーンの情報は、これからきっと需要も高まるとも思うので、ちょっと気合い(?)をいれて、書いていこうと思います。
おまけ:ルアンパバーンで見た、新年のお祝いのイベントでの伝統舞踊。
おまけ2:Instagramやってます。
今回の記事の写真は、みんな Instagram から。ラオスに来て、写真熱が再熱中。
コメントもタグも付けずに、ひたすら写真編集用として使っていますが、ラオスの日常の風景を載せています。よかったら、覗いてみてください。
それでは、また!(^^)
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