竹を編む村に、滞在させてもらった話。"貧しい”ってなに?(前編)
サバイディー! (こんにちは)
今日は 年末に、3泊4日で村に滞在させてもらった時のお話を。そいでもって、最近頭の中にある”貧しいってなんだろう?”ってことを。
写真多めの、長め記事です。よかったらお付き合いください。
(後編はこちら→竹を編む村に、滞在させてもらった話。"貧しい”ってなに?(後編))
家はみんな自分で建てる。家の下にあひるが!
どこに行ってきたの?
ヴィエンチャン県にあるとある村です。首都からヴィエンチャンから車で2時間弱。日本のODAで建設したラオスで1番最初に建設されたナムグムダムの近くにある村。
まさに”村”、と聞いてイメージするイメージ通りの”村”でした。
全体的に茶色くて、動物や子ども達がそこら中にいて。とてもこじんまりとしたコミュニティで、皆が皆を知って。家も自分達で手作り。シャワーもなく、水浴びでした(笑) 普段の、首都のアパートメント暮らしとはやっぱり違うぜぃ。
歩いて5分の学校。
学校へ向かう子供たち。
駄菓子屋さん的なお店。
(左)泥棒とかいないんだろうなぁ。ドアも窓も全開。(右)牛が群れで、いきなり道を歩いてきて、びびる。
竹でかごを編む村
そもそも何故この村に滞在させてもらったかというと、私が働く建物内にAFCというニュージーランド母体の団体があるんです。ラオスにはNGOがないけれど、(法律がない!)農業に関連する支援を行う、NGOに近い活動をしている団体です。
ここのおじさま達がとーってもチャーミングなのです。何故か茶道の茶筅をオフィスに飾っていて、ちょうど茶筅を探していた時に、「売ってますか?」と聞いたら、「あげるよ!」と。(竹がよく取れるラオスで、新しく作れる製品として、茶筅を検討しているとのこと。)
英語が話せるのもあり、それがきっかけによく話すようになり、1度お茶を点てたあと、竹製品を眺めて、綺麗だねぇ、なんて言ってたら、「作ってみたら?作ってる村紹介してあげようか?」と言われて、今回連れてきてもらいました。
AFCは、滞在させてもらった村だけではなく、いくつかの村にマイクロファイナンスの支援をしています。年1.5%の利子で、年に1度500,000キープを貸し出ししています。対象は女性だけ。男性は飲んで使っちゃうから貸さない、と言ってました。(苦笑)
そのお金で、製品を作るための道具などを買ったりしているそう。
ラオスには、竹がたくさんあります。私も今回知ったのですが、200種類以上もの竹があること!とってもまた生えてくるから、竹を作ったかごづくりは、AFCの支援が入るずっと前から続けられてきたと。
たけのこも、よく食べる食材で、”ケーンノーマイ”というたけのこスープは、ラオスの有名な家庭料理です。
これはケーンノーマイじゃないけど、たけのこを発酵させたものを煮た奴。(ざっくり)
本当にこの村では、子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、老若男女、みーーーんな、竹かごを作れる。これにはびっくり。村を歩いていると、家の外で皆編んでいるんです。毎日毎日。
編む手元。めちゃくちゃ早い。「もう50年もやってるから、酔っぱらっても、目をつぶっても編めるよ」
村の日常
そんな村の長である、マダム・モーのお宅に3泊4日させてもらいました。もうね、マダムという言葉がめちゃくちゃよく似合う、肝っ玉母さん。みんながマダムの家に何かあると集まってくる。
昼過ぎに到着した1日目は、雨が降りそうだから、という理由でかご編みレッスンはなしで、キンペット(焼きアヒル)飲み会。近くの家で、皆が集まり、食べて飲んで歌う。あれ、いつもも変わらない(笑)
食材は、皆自分達で準備。飼っていたアヒルを絞めて、さばくところを見せてもらった。血を抜いて、毛をむしって、切って、”肉”にしていく。
途中で、おけに入った魚を、近所の人が売りにきて、それが泊まっている間毎日、食事に出てきた。ああ、生き物を食べてるなぁと思った。
2日目、3日目からは念願のかご作り。
朝から、マダムの家に女性が集まってきて、御座をひいて、製作開始!
やってきた、みんなが先生!
まず、竹を切って、
表面の皮の部分を取って、(か、固い!)
その皮をさらに、包丁ですいて薄く綺麗にする。(包丁で1つ1つ手作業)
ここまでやって、初めて編み始められます。
これは商品用に、紫に染めてあるやつ。編む時は、水が必須。固くなってきたら、水をかけてやわらかくして編みます。
底を作って、
どんどん編んでいって、
最後に仕上げをして完成!
いえーい! 1人じゃ絶対編めませーん!
小さいのにも挑戦。 結婚したら、指輪入れに使いな〜と、2つお持ち帰りさせてくれた。笑
すごいのは、みんな、作り方が、頭に入っているんだよね。本も何もない。でも皆知ってる。その法則が中々分からず、何度も聞くけど、みんな辛抱強く教えてくれる。
出来上がったかごに、ニスを塗って乾かす。出来たものは、ヴィエンチャン市内の市場で売ったり、AFCを通して通信販売などしてる。
気付いたらみんな集まって、世間話しながら作って。途中でいなくなったりしつつ。ご飯になったら、誰かが準備してきて食べて、話して、また作って。そんな1日。
いつも誰かしらの家の前に、御座をひいて、作り始める。
3日目の午後には、早めに終了して、近くのナムグムダムへ皆で遊びに。そして次の日のために大量に買い出し。
そう4日目には、バーシーという儀式があったのです。 結婚式や子供の誕生などの節目や、何か悪いことがあった時にするラオスの儀式なのですが、マダムの娘(私と同い年!)が牛に衝突するという交通事故(!)を起こしたということで、バーシーをマダム家で行いました。
当日は近所の人が、みんな集まり、朝5時から食事の準備。100人以上分の料理をつくります。
(左)女性が集まるとにぎやか。私もちょいっとお手伝いさしてもらう。
10時から、バーシーを行い、そのあとは食事パーティー。また、飲んで食べて歌って、踊って(笑)村の人が次々に訪れます。
(左)家の中でバーシー。(右)外でパーティー。ラオス人、家にパーティー用のテント&机持ってる人多し。。
私は、このパーティーが終わったあとに帰りました。ほっぺにチューしてもらったり、皆でお見送りに来てくれた。4日間だけの滞在だったけど、出発する前から、すっかり村シックになる。
特に1人、到着した時からずっと気にかけて世話を焼いてくれたおばちゃんがいて。歯で瓶ビール開けるし、酔うとすんごいけど(笑)、私の為に家の竹切って、たけのこスープ作ってくれたり、一緒に散歩したり。ううう。また会いたい。
生きてくのに必要なのって?
滞在して1番思ったのは、「こんな形で生きていけるんだ!」ってこと。小さい小さいコミュニティで、自分で家を立てて、食べ物を育てて。自分の所で多く採れたものは、周りの人に売って。買って。(ラオスでは、物を時に「スアーイカーイデー(売るの手伝って)」って言うんだけれど、その意味が分かった気がする」)
日本も、きっと昔はそうだった&今もそういう場所はあるかもしれないけれど。実際にこうやって、村の人は生きていくのか、と身を置いて、はじめて実感した。
皆が皆を知っていて。なんかあったら、皆がそれを知っていて、助けられる人は助ける。1つの共同体。物が村の中で循環していく。多分村の人は、誰1人飢えて死ぬこと、老いていく場所がなくなることは、ないんじゃないか。
生きていくのに必要なのって、衣・食・住 + 人のつながりだなぁって思った。
そんなことを思いながら、帰りの車の中で、こんな事をしたんだ、楽しかった~、などと話していたら、AFCの人に
"Good. If you like the people there, you should do something. They are poor." (それはよかった。もし彼らのことが好きだったら、何かしなきゃだめだよ。彼らは poor (貧しいんだから)と言われた。
なんか、この "They are poor."の言葉を聞いて、なにか違和感のような、どこか怒りのようななった、ぐらっときたものがあった。そのあとも、なんとなくどこかに残ってる。
Poor ? 村の人たちって 貧しかったの?貧しいってなんだ??
(あまりにも長くなってしまったので、後編につづきます)