2月のみかづき。

ラオスでも大人気!タイの国民的バンド「カラバオ」を知ってるかい?(予習編)

バイディー!(こんにちは)

突然ですが、カラバオってバンド、聞いたことありますか?

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ARTISTS | BIG MOUNTAIN MUSIC FESTIVAL OFFICIAL WEBSITE

 

私もラオスに来るまでは全然知らなかったのですが、こちらに来てからよーく聞くようになりました。

英語の授業内で、「どんな歌手がすき?」と聞くと、カラバオ!」

パーティーで流れて、皆が合唱しだした時「誰の曲?」と聞くと、カラバオ!」

バイクに貼ってあるステッカーの牛さんを見て「何これ?」と聞くと、カラバオ!」

 

・・・と、日常の中でよく名前は聞いていた カラバオ

気になってアルバム買って聞き始めたら、結構好きになっちゃっていた カラバオ

 

そんなカラバオが今月末、ヴィエンチャンにライブに来る!と新聞で知り、職場の皆で行くことになりました!やったーーー!

予習編としてカラバオについてちょっと書いていきたいと思います。

エネルギードリンクにもなってます。

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カラバオってどんなバンド??

カラバオは、1981年に結成されたタイのバンドです。タイ語表記は คาราบาว、英語表記は Carabao。今年でなんと活動35年目!27枚のアルバムをリリースしている、タイで知らぬ者はいないと言われている大御所バンド。

メンバーは現在は8名で、50-60代のおじさまたち。現役で今でもタイ国内や世界中をライブして回っているので、"Rolling Stones of Asia" なんて言われていたり(笑)

唯一、最初から今までメンバーなのは、作曲/作詞を担当しているボーカルのエート・カラバオ。彼がフィリピンに留学中に3人の友人と組んだバンドが、カラバオのはじまり。

バンドカラバオは、タガログ語で「水牛」という意味。バンドのマークにも使われていたり、ライブでは親指と小指をつきだして「カラバオポーズ」をするのが定番らしい。

水牛は、忍耐・重労働の象徴。

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Carabao / 画像一覧 - MusicHubz

 

なんでそんなに人気なの?

「なんでカラバオ好きなの?」と聞くと、返ってきた答えは、「プアシウィッド(人生のための歌)だから!」

タイの音楽には、この「プアシウィッド」という音楽のジャンルがあるらしく、恋愛じゃなく、人生の苦しみや学びなどを歌っています。

カラバオの歌は、社会情勢、政治腐敗、仏教の考え、環境破壊、人種などなど、本当に色んなことを題材にしていて、その多様さに驚かされます。

タイの情勢が反映された歌も多く、1つ1つの曲に強い意志を感じる。

そんな割と重い歌詞を、ノリのよいリズムで聴かせてくれるのがまたカラバオの魅力。サムチャといわれる東北タイのリズムとラテンのビートが混ざった独特のサウンドに、思わず体が動きます。

 

ちなみにカラバオは日本でも結構有名みたいで、代々木公園で行われているタイフェスティバルにも何度か出演しています。( youtubeにライブ動画がアップロードされてます。)

 

"Songs for Life!"  有名どころの曲たち

さて。そんなカラバオの有名どころの曲達を、いくつか紹介してみます。歌詞をタイ語から英語に訳しているサイトがあって、歌詞はそこのを参考にさせてもらっています。

(歌の説明は少しずつ足していきます・・・)

 

เมดอินไทยแลนด์ Made in Thailand

www.youtube.com

เมดอินไทยแลนด์ Made in Thailand | Carabao in English

イントロからわくわくしてくる。お祭りに来ているような、なんだか心の奥の方が、うずうず。しかーし、歌詞は皮肉たっぷり。

 

 

Ocean Heart (Telay Jai) ทะเลใจ

www.youtube.com

私の周りでは、「この曲が一番のお気に入り!」といっている人が多し。仏教系悟り曲。とても落ち着く。

 

Dream Chaser (Kon La Fun) คนล่าฝัน

Dream Chaser (Kon La Fun) คนล่าฝัน | Carabao in English

元気のでる応援歌!

โอ้ชีวิตมีอะไรตั้งเยอะแยะ
ôh chee-wít mee a-rai dtâng yúh yáe
Oh, life has many, many kinds of things
มีเกิดแก่เจ็บตายคล้ายๆ กัน
There is birth, aging, pain, and death similarly [in every life]
แต่สิ่งที่มีไม่เหมือนคือความฝัน
But the thing that is not the same is the dream.
อยู่ที่ใครจะล่ามันให้อยู่มือ
It’s up to the person to chase it until they have it in their hand.

 

 

The Beggar (Wanipok) วณิพก

www.youtube.com

物乞いのストーリー。

The Beggar (Wanipok) วณิพก | Carabao in English

 

ซับน้ำตา อันดามัน Sap Naam Dtaa Adaman (Absorb the Tears, Adaman Sea)

www.youtube.com

 

 

บัวลอย Bua Loy

www.youtube.com

ブア・ローイ:水に浮かぶ蓮を人に例えた歌。

บัวลอย Bua Loy | Carabao in English

 

Thailand Unite! (Samakee Pratet Thai!) สามัคคีประเทศไทย

www.youtube.com

「サマーキー」は、皆で一緒に!という意味。(ラオス語も一緒です)タイの皆、1つになろうよと呼びかけた歌。

Thailand Unite! (Samakee Pratet Thai!) สามัคคีประเทศไทย | Carabao in English

 

 

さぁ、ライブへ行こう!

どうでしたか?まだまだ私もカラバオを知ったばかりですが、すんごいバンドやなぁとしみじみ。これを読んで、カラバオに興味を持ってもらうきっかけになればと思います。Let's カラバオ

さて、これでライブの予習もばっちり!ヴィエンチャンでのライブの様子も次回書きます〜。

 

参考にさせてもらったサイト

Carabao in English | Lyrics Translations for the Band

タイ王国.com ::: スペシャル ::: THE☆タイのスター ::: カラバオ

タイ人を鼓舞し続けるカラバオの魅力とは【前編】 | バンコクナビ

 

 


 

外国語を使うのって疲れませんか? それでも”やがて哀しき外国語”と付き合っていく。

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今週はものすごーく、疲れた。

授業が始まって最初の1週目だったということもある。

だけどそれ以上に、「外国語を使うということは、こんなにもエネルギーを使うのか」と、分かっていたようで忘れていたことを体感した、1週間だった。おかげで昨日は、半日くらい寝て、本当魂が抜けたようにぼーっとしていた。 

今週は、久しぶりに担当する英語の授業が始まって、週5日クラスがあった。初めてってことでかなり気を張って話す。

飲み会が3回。

オーストラリアの先生の送迎会や見送りで、ラオス語と英語に挟まれる。

そんないつも以上に外国語に囲まれた週の最後。

金曜日の授業後の飲み会。初対面の人とラオス語でコミュニケーションを取る状況になった時、ラオス語が全然入ってこなくて泣きたくなって。「もう今週は無理だ!」と、さりげなくトイレに逃げ込んでやり過ごして、帰ってからは泥のように眠った。

 

起きてから何もやる気が起きず、思い出したように、手元にあった村上春樹さんの「やがて哀しき外国語」というアメリカに滞在していた時に書かれたエッセイ集を読んだ。

一対一で話す分にはまだそれほどの不便はないのだけれど、それが四人になり五人になり、会話が仲間うちの機関銃的ラピッド・ファイアになってくると、もう話の筋を追っていくだけでやっとである。話自体はなかなか興味深くあるのだけれど、じっと聞いていると二時間くらいで神経がくたびれて弛緩してくる。神経が弛緩してくると、集中力が低下してきて、こっちの英語もだんだんうまく出てこなくなる。ウルトラマンじゃないけれど、いわゆる「電池切れ」の症状である。外国語の会話をなさった方ならだいたいこの「電池切れ」症状を経験しておられるのではないだろうか。

この部分を読んで、「昨日の私は、まさに”電池切れ”だった!」と思わず、一人で頷いた。そうだ、この疲れきった感覚は初めてじゃない。ここまでじゃないにしても、今まで何度か感じたものだ。

 

普段あまり意識していなかったけれども、母国語で当たり前にしている簡単なことでも、外国語でやると何倍ものエネルギーを使う。

実際、外国語を喋っている時の脳は、母国語で話している時によりも何十倍も活発に働いているらしいし。常に「これは何て言うんだ」なんて考えていたりで脳は一生懸命はたらいて疲れているし、それに伴う”メンタリティ”も伝わらないもどかしさだったりで、結構つかれるものだ。

うん、伝わらないってやっぱりもどかしいもので、どこか寂しいもの。(まぁ、母国語ででも話していて、「ああ、伝わらない!」と思うことはたくさんあるだろうけれども外国語だと余計に。)ラオス語と英語を混ぜて話していると、コミュニケーションとして成り立ってはいるけれども、言葉と言葉の中間で泳いでいるようなおぼつかない気持ちにも時々なる。

 

良いも悪いもなく、外国語を使うっていうのはエネルギーを使う。

これを自覚してあげないと、エネルギーがすり減っていることに気がつかず、色々なことにイライラしてしまう。(私はそう。)

外国語を悪者にするわけじゃなくて、そう思うと「うん、じゃあちょっと休もう」と思える。

だって、誰も悪くないんだもん。ただただ、外国語使って生活してるだけで、結構エネルギー使ってるんだよなぁ、と気付いてあげる。

普段からもの凄く気分屋な私ではあるが、今週のイライラは何か底に( __________) こんな感じでずっと続いているものがあるような気がしていて。自分でも、「なんでこんなにイライラしているんだろう?」と思っていた。

「あー、今週はめっちゃエネルギー使ったんだなー」と思うようにしたら、なんとなく心の置き所が見つかったような気がする。

 

周りからは外国語使ってる=エネルギー使ってると思われたり、慰めてもらえることってあんまりない。

その分、自分ではたまに思い出した時、疲れた時にでも「そうだよね、疲れたよね」なんて思ってあげると、ちょっと楽になる気がする。自分にとってもいいし、周りにも八つ当たり(ごめんなさい)しないで済む。

エネルギーの残りが少ない時、相手の言葉で話していて、容赦なく話されると「ちょっとずるくない?もうちょっと、気ぃ遣ってよ!」って言いたくなる(笑)「こっちにはハンデがあるんだからさ。」って。うん、そうだ。言葉が出来ないっていうのは立派な(?)ハンデなんだと思う。

(そういえば国内にいながら、「英語が出来なくて、すみません」なんて、逆に謝るのは日本くらいなのかな。どうなんでしょう。)

 

もっとひどいと、「何で私だけがこんな頑張らなきゃいけないのよ」って思っちゃう。外国語を使う=がんばっている、でもいいのかもしれないけれど、(私もそう思っていた)これだと 外国語を使わない周りの人=がんばっていない、外国語を使う自分=がんばっているとなって、疲れた時に周りの人を責めたくなる。

外国語を使う=エネルギーを使うものだ、と思っておく方が、なんとなくいい気がする。

 

こちらに来て1年の私のラオス語は、なんとか意思疎通は出来たり、他の外国人から見たら「すごいね」と言われるけれども、まだまだお粗末なもの。 

外国語を話すという作業には多かれ少なかれ「気の毒といえば気の毒、滑稽といえば滑稽」部分がある。(略)英語を一生懸命話しながらふと「なんでこんなことをやってなくちゃならないのか」と思うことがある。

店の売り子に「ホワット?」と大声で聞きかえされたり、自動車修理工場へ行っておっさん相手に汗をかきながら訥々と症状の説明をしたり(ウィンカーって英語でなんていうんだっけ?)していると、ときどき自分が情けなくなってくることがある。通りを歩いている五、六歳のアメリカ人の子供がすらすらと綺麗な英語を話しているのを耳にすると、「子供でもこんなにうまく英語を話すのになあ」と思って愕然としたりする。考えてみれば当たり前の話で、いちいち愕然とすることでもないのだけれど、なんだかふとそんな風に思ってしまう瞬間があるのだ。まあ自分の意思で日本を出てきたわけだから、誰を恨むこともできないわけだけれど。

ラオスに来てすぐにしたホームステイでは、2歳の女の子よりも話せなかった(笑)(比べたら、今でもそうかも。)

エネルギーがまだ残っている時は、間違ったり変なこと言っても、一緒に笑い飛ばせたり。子供のように「教えて教えて」と学ぶことを楽しめるんだけれども。疲れている時なんかに、すんごく簡単なことも通じないと結構凹む。

夜一人で、英語とラオス語の辞書とにらめっこしてると、「私は何をしてるんだ」と思いたくなる時もある。

外国から来た他の英語の先生は、ずっと英語だけで話していて、その人に対しては皆(ラオス人)英語で頑張って話しかけたり、ちゃんと通訳つけたりしてるのに、私にはラオス語で話したり(英語でも話せるじゃん!)、通訳や説明もなかったりすると、「なんでよーーー。」と思いたくもなる。

こっちは、クラスでは、母国語じゃない英語を教えて、事務所には英語で話せるスタッフが他の先生たちにはいるのに私にはいないし、飲み会ではラオス語に巻き込まれる。クラスでも、オフィスでも、外でも、なんだ私だけ頑張らなきゃいけないのよ!と思いたくなる。

いや、本当全部自分で選んだけどさ。今週は時に帰国したオーストラリアの先生や、他の場所で教える先生と話をしていたり、今更ながらこう思っていた。

 

 だからといって、ラオス語を勉強しなきゃよかった?と思うと、それはやっぱり違うんだよなぁ。何度も書いてるけど、やっぱりラオスで生活する上で、ラオス語は勉強してきて本当によかったと思う。言葉が全てではないけれど、同じ言葉を使ってはじめて分かりあえる所、絶対ある。

  

上で引用させてもらった、村上さんのエッセイは、何ヶ月か前にタイトルに惹かれて、JICAのドミトリーから借りていたものでした。

この本の「やがて哀しき外国語」というタイトルは、僕にとってはけっこう切実な響きを持っている。本の題にしようと思ってから、折りに触れてこの言葉が僕の頭に浮かぶようになった。(中略)しかし、「哀しき」と言っても、それは外国語を話さなくてはいけないのが辛いとか、あるいは外国語がうまく話せないのが哀しいということではない。もちろん少しはそれもあるけど、それが主要な問題ではない。僕が本当に言いたいのは、自分にとって自明性を持たない言語に何の因果か自分がこうして取り囲まれている、そういう状況自体がある種の哀しみに似たものを含んでいるということだ。どうも回りくどい言い方になって申し訳ないのだが、正確に言えばそういうことになる。

(中略) 

一人の人間として、一人の作家として、僕はおそらくこの「やがて哀しき外国語」を抱えてずっと生きていくことになるだろう。それが正しいことなのか、それほど正しくないことなのか、僕にはよく分からない。非難されても困るし、褒められても(まあ褒める人もいないだろうけれど)困る。そこが僕の辿り着いたところだし、結局のところそこにしか辿り着けなかったのだから。 

そう。良いわけでも悪いわけでも、正しいわけでも正しくないわけでもない。

ただ外国語を使う時には、どこかちょっと哀しい気持ちがいつもどこかにある。”悲しい”ではない。どこか少し甘さのあるような、なんだか切ないような。上手く説明できないのだけれども。

アメリカで勉強していた時や海外に行った時、英語を学んでいた時に感じた、悔しかったり恥ずかしかったり、もどかしかったり、嬉しかったりといった色々な気持ち。

そういう経験や感情もどこか後ろにくっついているからか、この「やがて哀しき外国語」という言葉は、なんだかとってもしっくりくるものがある。上手く説明出来ないのだけれど。

言葉が全てではない。けれども、日々の多くを占める言葉。その言葉を”自分のもの”に出来ないとき。”自分のもの”が使えないとき。ああ、”自分のもの”じゃないなぁと感じるとき。(”自分のもの”ってどういうことだ)やっぱりどこか哀しく感じるんだろうか。10年とか20年の単位で外国に住んで、母国語以外の言葉で、生活の大部分を過ごしたら、どんな気持ちになるんだろう。

 

 あと1年はラオスで英語を教える上で、間違いなく外国語に囲まれながら生活していくし、そのあともきっと何らかの形で外国語と付き合っていくのだと思う。

疲れた時は、「よしよし、エネルギー使ったなぁ」と思って ちょっと慰めたり休んだり、嬉しい経験は味わいながら。息切れしないように付き合っていきたいなぁと思いましたとさ。

・・・なんて書きながら、週末フランス語を学びにいって、自らエネルギーを使いにいくという。どМか。

 

さ、また明日から!

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

 

 

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【協力隊活動】ラオスでの英語コースの2ターム目が始まります。

おはようございます。

英語の授業 in ラオスの第二タームがいよいよ始まります。

イラストレーターの人に書いていただいたカバー画。今度改めて紹介します!

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 今回も6ケ月のコース。1クラス約35人という大所帯でのスタートです。

前回は、午前と午後の2時間を2コマでしたが、今回は午後と夕方の2時間2コマに変更しました。

生徒さんたちは、前回から引き続き通ってくれる生徒さんが何人か。あとはまた違う場所からの参加です。最高裁判所内務省の人が多かったり、映画制作関係、オペラ俳優、ミュージシャンもいたり!(ラオスの公務員の幅は広い!)


年齢層も前回より幅広く、クラス内のバラエティーが富んでいる気がします。そんな部分もいかせたら、面白いクラスになるかな。


教科書は前回も使った、”English for Lao Government Official" とイギリスで作られた "Insideout"という教科書をメインにしていきます。

www.insideout.net

ラオスでは、英語の教材が本当に手に入りにくい。手に入っても、大体がコピーのものだったり、古かったり。今回も、近くの語学学校にお願いして、みんなコピーさせてもらいました。(違法なんだけれども、背に腹は代えられず・・・)

単語帳もないし、日本の教科書や参考書の豊富さを今考えると、恵まれてたんだなぁ。あんなに母国語で英語が勉強できる教材があるなんて、世界的にみたら、かなりレアなことなんだと思います。


継続な活動として、音読となんちゃって瞬間作文をやって、発音・語彙・文法の基礎をつけられるように、パフォーミングテストをやろうとも思っています。


さて、6月から11月の6ケ月。結構な長期戦です。久しぶりの授業、昨日からめちゃくちゃ緊張。

今回は前回よりも勝手が分かって、計画も立てたり、何にフォーカスを置きたいのか、見えている、はず。


息切れしないように、上手く周りの人や生徒さんに協力してもらいつつ(全部は自分じゃできない!)6ケ月やっていこうと思います。

 

 よっしゃーー!

 

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【ラオス旅行】古都ルアンパバーンで、ラオス正月を。【ピーマイ】

バイディー!(こんにちは)mikakoです。

ラオスのお正月(ピーマイ)は4月14日から17日の3日間にかけてお祝いされるのですが、旧都であるルアンパバーンでのお正月は、昔から続く様々な行事を織り交ぜながら、1週間かけてじっくりと、祝われています。

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優しくなりたい?人を思いやること。循環させること。

バイディー!(こんにちは)

人を思いやること、やさしくあること、について。最近思ったことを、ぽろぽろと書いていきたいと思います。

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生徒さんとの夕ごはん

昨日、急にこの間まで一緒に勉強していた生徒さんから、電話が来た。「次のタームについての問い合わせかな?」と思ったら、「まだラオスにいる??」って。

修了式の日のうちあげに来れず、私がいつ帰るか分からなくて、まだ一年いるよーと笑いながら伝えると、じゃあご飯食べに行こう、と。

2週間ぶりに会って、少し市内から離れたシンダート(ラオス焼肉)の食べ放題のお店へいく。ラオス語と英語混じり交じりで話しながら食べる。本当に気が利いて、せっせと動いて、気持ちよい位よく食べる。「お金ない。My family is poor.」なんて笑いながらもよく言っているのに、「ラオスにいるんだから」とおごってくれる。

そのあと、帰りちょっとスーパーによって買い物して、三日月きれいやーなんていいながら、なんでもない話をして家まで送ってきてもらって別れた。

”それだけ”だったんだけれども、なんだか帰ってきて家に着いて、すごく満たされていたんだよなぁ。それをなんかの形で残しておきたくて、普段つぶやかないtwitterに酔っ払いながらつぶやいていた(笑)

なんだろうなぁ、すごく大切にされた気がして。あー、暑くて最近ばてていたけれど、明日からまた気合いいれて、授業がんばろうなんて思ったり。お腹苦しかったけれども、「いい一日だったなー」なんて思いながら、眠りについたのでした。

 

やさしいってなに?

前から時々「人を思いやるって何だ」「やさしさってなに?」なんて、そんなことを思うのですが、ラオスに来てそう思う機会が増えている気がする。

自分のこと、「ああ、やさしくないなぁ」「なんて嫌な奴だ」って時々ものすごく、嫌になる位ぐーっと底の方から思うことがある。人のこと(故意に)傷つけてる態度をとって、自分の優越感を守ったり、人が失敗しているのを見て喜んだり、ほっとしている気持ちを持ったり。とことん無関心であったり。気分の上下によって(しかも説明もせずに)、周りをやきもきさせたり。本気で「私大丈夫か?」って心配になる位。

と、同時に誰かのために何かを頑張れているとき、プラスの手ごたえがあるとき「私って結構いい人なのよね。」「きっとやさしさが根底にはあるはず」と思う時もある。(こっちの方がずっと少ないけれど。)

でも、どちらの時も「やさしくありたい」もしかしたら「やさしくなきゃいけない」みたいな気持ちが、あるんだと思う。

人は、皆基本的に「やさしくありたい」もしくは「やさしいと思われたい」んじゃないか。それは、ちょっといやらしいか。やっぱり出来るだけ、「やさしくありたい」んだと思う。(でも、なんでだろう)誰だって気持ちよく誰かと過ごせて、自分がしたことで相手がよい気持ちになっていたら、嬉しいんじゃないか。

私も、やさしくない部分が強く感じられる分、ずっと気持ちだけは、事あるごとに「やさしくありたい」「強くなりたい」と思っていたように思う。それをどうしたら形に出来るのか、続けていけるのか(1度出来ても、自分の状態ですぐ戻ってしまう)、はイマイチ分からなくて難しいのだけれども。気持ちと行動。心がやさしくあること、相手が喜ぶ行動がとれること。一体どんなことなんだろう。「人を思いやる」というのも難しい。その人のことを思うこと。「思い」を「遣る」こと?

 

言葉から考えていくのも面白いかもしれない、やさしさという言葉。英語だったら、kindness?Compassion?なんとでも訳せそう。ちなみにラオス語はໃຈດີ(チャイディー)チャイ=心、ディー=良い。ちなみにちなみにラオス語で、恋しく思うは、ຄຶດຮອດເຈົ້າ(キットホードジャオ)キット=思う、想い、ホード=~まで、届く、ヂャオ=あなた。あなたに想いを寄せる。この言葉、好き。

さて、日本語の定義はなんなんだろうなぁ。今調べちゃわないで、少し取っておいて、また見てみたい。

 

やさしさを形に?  

さて、やさしさ、はどうやったら形に出来るんだろう。行動として表すことが出来るんだろう。

関心を持つこと。気にかけること。知ろうとすること。感謝を伝えること。喜ばせること、笑わせること。分け合うこと。(惜しみなく?)与えること。一緒に時を過ごすこと。(時に)プライオリティーを相手に置くこと。誰かのために時間を使うこと。

その人の気持ちになってみること。その人が欲しいものを想像してみること。その人が悲しい時、辛い気持ちを推し量ること。話を聴くこと。何かしらの支えになること。前に進むことの何かしらの力になること。

形にすることも大事。でもきっと、そういう気持ちを持つことだけでも、尊いっていうか大切にするべきなのかもしれない。でも形にするのも大事だ。(どっちだ)

 

時々ふと、お茶(茶道)の稽古のことを思い出すことがある。特に1度客として経験させてもらった、お茶事 のこと。手間と時間のかかるお点前(お茶を入れる動作)や準備(本当に大変)は、みんな客(お茶を飲みに来る人)のこと、お茶一服のことだけを最大限に考えてのもの。

そんな風に想われて準備された過程や気持ちを想像して頂くお茶とその空間は、”もてなされる”、”大切に想われる”ってこういうことなのかなぁって思わせてくれた。今でもその日のことを思い出すと、どこか嬉しい温かい気持ちになる。

本ーーー当に、少ししか茶道のことを知らずにお稽古を止めてしまったけれど、(また絶対やりたい)茶道っていうのは、形から人のことを思いやることを学べるんだなぁ。そのあと続けていくうちに心がついてくるのかな、なんて思った覚えがある。

 

よいきもちを循環させていく

こっち(ラオス)に来て学んだ1つのことは、いいものは循環させればいいんだな、ということ。嫌な気持ちやものは、どこかで止めなければいけないけれど、(もしくは分け合って少なくする)いいものってどんどん廻したらいいんだって思えるようになったのは、自分の中ですごく大きい。

よく飲みに行く同僚の人は、本当にびっくりするくらい、いっつもよくしてくれる。「返せない!」と思って、時々怖くなってしまうくらい。

相手のやさしさを受け取るのも、なかなか難しいもの。最初の頃に、「いつも悪いなぁ」みたいなことを言って遠慮していたら、 「何かしてもらった時は、にこっとありがとうって受け取ればいいんだよ。もしいらなかったら、あとで捨てたり誰かにあげればいいんだから。その場で、にこっと受け取って、喜ぶことが何よりも喜ばれるんだから。そんで出来る時に、思いっきり恩返ししてくれたらいいよ」と言われた。

(してもらって嬉しかった時。好意でしてくれたはずなのに、嫌な気持ちになった時のちがいは一体なんなんだろう。相手に断る選択があったかどうか?”与えている”時の暴力的な感じ。またこれは考えたい。)

先生という立場、外国人+ボランティアという立場上だからか、何かをしてもらうこと、物をもらうことが多い。いや、その立場じゃなくても多分そうなんだと思うけれども!

いつも「返さなきゃな」って思う。「何が出来るかな」って。”お返し”するのも不自然だったり、下手くそなんですが。(さらっと自然にできる人がいつもすごいと思う)そんなんでも、やっぱり嬉しかったことや親切にしてもらったことは、循環させていきたいなぁと思う。

英語の授業をがんばるのだってきっと1つだし、たまにご飯やお菓子買っていってみんなで食べること。ブログでラオスのことについて書くのも1つかもしれないし。何か嬉しいことがあったときに、自分なりに思う”ちょっと誰かのためになること”を1つでもいいから、どこかで誰かにすること。それが今の私なりの循環させられることかもしれない。

 

今出来ること 

うん、今出来ること。人に何かをもらったときは、感謝して受け取る。その嬉しい気持ちを味わっておく。こんなことをしてもらって、私は嬉しかったんだって覚えておく。相手に嬉しかったよって伝える。

次に自分が 出来そうなときは、それをまた返してみる。循環させるように。嬉しかった気持ちを思い出しながら。なるべく見返りを求めず、相手の反応にも期待しすぎず。

同時に相手がNoと言える隙間はなるべくあけておきたい。

それが出来るためには、なるべくいつも(それなりに)よい状態(上機嫌)でいれるように心がけること。(ここでまず、よくつまずく)

そうじゃないときは、そのことに気付いて出来たら吐き出すこと、人と自分に向ける言葉と行動に気を付けること、も大事だと思う。

 

ひさしぶりに、こうブログのフォーマットなどを気にせずに、思ったことを思ったまま書いてみた。言葉にしてこっぱずかしいような気持ちもするけれども、一回どこかにとりあえず着地できたような気持ちもある。やさしい、かぁ。そんなことあれこれ考えずに、地の心からでた行動が皆、やさしいものであったらいいんだけどなぁ。

そうはいかないからこそ、たまにこうやって考えてみたい。

 

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【青年海外協力隊】ラオスで英語を教えて3ケ月!第二号報告書も公開します。

バイディー!(こんにちは)mikakoです。

今更なのですが、青年海外協力隊の第二号報告書をブログに載せておきたいと思います。

https://www.instagram.com/p/BCcII18NHX6/

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【協力隊活動】ラオス労働組合での、6ケ月の英語コースが修了しました!

サバイディー!(こんにちは)mikakoです。

青年海外協力隊の活動として、10月から始まった、ラオス労働組合での英語コースが4月上旬に終了しました。
途中休みをはさみながら、実質6ケ月のコースでした。

先日あったコースの修了式のこと、今振り返って思うことを書いていきます。

修了式の集合写真。

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コースの概要は、こんな感じです。

対象:労働組合に所属するラオス人労働者(公務員)

日程:2015年10月6日~2016年4月5日 (6ケ月)
   月曜日から木曜日(週4日)

場所:ラオス労働組合 能力開発センター

クラス:初級 (朝:9:00 - 11:00, 夕(サブ):16:30 - 18:00)
    中級 (昼:14:00 - 16:00)

人数: 初級 スタート 36人 → 修了 29人
    中級  スタート 36人 → 修了 23人

 

 

コース修了式!

ラオスでは、また日本とは似ているようで違った形で形式だったり、イベントを大事にしています。

ピーマイ(お正月)のお休みを挟んで、授業が修了してから、2週間後の金曜日の午前中に職場の会議場にて、修了式がありました。2週間ぶりなのに、「久しぶり!」って皆で言い合って、もう懐かしい。

式は、フアナー(所長)からのお言葉と、コースのサマリー(どんなことを勉強してきたのか等)の発表から始まりました。司会はいつもお世話になっている、そして生徒でもあるカウンターパートが初挑戦。 

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9時から開始でしたが、人がばらばらと入ってきながら、割とゆるーく進む。f:id:mikachanko4281196:20160430162210j:plain

そして1人1人に修了証を渡していきます。

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この文面やレイアウトをどうするか、前日まですごーく悩んでいた。(笑)

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最終テストや、全体の成績も一緒に配りました。「ど、どうだった?」

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いえーい!いい写真!写真はみんな、同じ活動先で働く先輩隊員が撮ってくれました。

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プレゼントとして、職場からはお花と生徒さんたちからはシャツとシン(スカート)用の布を頂きました。(ありがとう!)

本当に先生という立場が大切にされているなぁと感じます。

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そしてそのあとは、記念撮影大会です。 

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皆おめかししていて、華やか!美女だらけ!

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式が終わったあとは、昼間から事務所で飲み、カラオケに行き、夜までおつかれパーティーでした。平日なんですが。(笑)

 こうやって式をやってくれて、全員は揃わなかったけれど、皆で集まって「おつかれさま」「おめでとう」って言い合えて、区切りがつけれて、よかったです。ありがたや。

 

6ケ月、終えてみて。

さて、はじめてクラス形式で、英語を教えてみて思うことを。

毎日クラスがあると、「やったー!今日は上手くいったという日」もあれば、「なんでこんな上手くいかないんだろう」と思う日もあったり。しっかり万全と準備していける日もあれば、ほとんどその場でやる日もあったり。

自信のある日ない日。人の多い日少ない日。
活気のある日ない日。やる気のある日ない日。

自分の気持ちや状況など、色んなことが変わりながら、それでも毎日皆の前に立ち続けるって(逃げたくても逃げられない!)結構勇気がいることだなって思いました。

「そんなにプレッシャーをかけることはない」と思いながら、「1人でやらなきゃいけない」という変な責任感のようなものがあったり、途中少しぽいっと投げたりしながら(笑)、くねくねと歩いてきた6ケ月でした。

振り返るひまもあまりなく、「明日の授業はどうしよう」と目の前だけ見てやっていたら、あっという間に「あれ、もうこんな経ってたっけ?」という感じ。

コースが始まる前に、youtube で "Message for new English teachers(新しいESLの先生たちに贈る言葉)"というような動画を色々見ていて、その中で先生は船の”船長”なものです、とあったのが、コース中ずっと頭の中にありました。

手探りで何度も進路変更したり、ゴール・目的地もはっきりしない中、よく皆
ついてきて来てくれたなぁというのが正直な気持ちだったりします。

途中でイライラしたり、怒ったりもしながら、6ケ月に渡って、クラスの中や外で
関わってきた生徒さんたち。本当一生懸命取り組んでくれて、たくさん笑わせてくれました。


今は「ああ、終わったー!」という、一種の達成感のようなすっきりしたような気持ちと同時に、ほっと一安心したような気持ち。
「あーーーもうちょっとやれたかな。こうすればよかったかな」という悔しいようなもどかしいような気持ち。

「次はあれをやってみようかな」というワクワクしたような、期待感のような気持ち。

「あ、今日はクラスないのか」というどこか寂しいような、力の抜けたような感じ。

そんな色々な気持ちが混ざっています。

次のコースが始まるのは、6月のはじめになる予定です。

それまでの1か月、次に活かせるように振り返ったり整理をしつつ、ネタを貯めたり、新しい教材を訳したり、発音と文法を振り返ったり、授業の見学やTESOLの課題やったりして過ごそうと思います。(ああ旅行もいきたい。ブログも書きたい。欲望は尽きない。。。)

 

あと、協力隊の活動としてラオスで英語を教えられるのは、実質あと1年ちょっと。6ケ月のコースがもう一回と、少し短めのコース(5カ月?)が1回出来る位の期間しか残ってないんだなぁ。そう思うと本当に活動期間の2年間ってあっという間です。

既に次のコースのお知らせが回り、事務所に問い合わせの電話が入っています。今回の生徒さんの中でも、「またアーチャンと一緒に勉強しに来る!」と言ってくれている人も。

ちょっとでも、生徒さんや労働組合の人に「ああ、mikaに来てもらってよかった」と思ってもらえるように、次に向けて準備して行こうと思います。

 

それでは、また(^^)!

 

モーニング・クラス。

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アフターヌーン・クラス。f:id:mikachanko4281196:20160504133940j:plain

イーブニング・クラス。

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with 一緒に夕方のクラスを担当した先生とクラスリーダー。

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修了式に来れなかった何人かの生徒さんと、事前に。

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https://www.instagram.com/p/BEyCeX0tHYt/

 

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習慣化プロの「早起き」本を読んで、朝5時起きの計画を立てよう!

サバイディー・トンサオ!(おはようございます)mikakoです。

最近の悩みは、いつも時間がなんとなく足りない、ということ。「やりたい!」「やらなきゃ!」と思うのに、時間が足りなかったり、中々決まった時間を作れなかったり。

そんな時に思うのは、「ああ、毎日早起き出来たらなぁ」って。

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A Don’s Life: Alarm-clock Britain?

 早起きを習慣にしたいと思ったことがある(そして挫折した)人はかなり多いはず。

私もまた生活が乱れつつある中、この"実り多き人生"というブログを読んで、早起きの習慣化に挑戦してみたいなと思いました。

 ちなみにこのブログを書いている方は、お子さん2人がいるらしく、一緒に8時ごろ寝て、3時に起きて毎日自分のやりたいこと=ブログを書いているそう。す、すごい。

 

影響されすい私は、記事の中で紹介されていたこの本を、早速読んでみました。

人生の主導権を取り戻す「早起き」の技術 人生の主導権を取り戻す「早起き」の技術
古川武士

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作者の方は、習慣化することを専門(!)にしたコンサルタント。今まで何人もの早起き習慣化をサポートしてきた、いわば早起きのプロ。

早起きに関する本ってたくさん出てるんですよね。私も昔何冊か読んだことがあります。だけど、この本は具体的かつ現実的。「これなら出来そう!」と思わせてくれる。

さっそく本のステップに従って、早起きのための計画をたててみることにしました。

 

早起き計画をたてよう!

ステップ1:理想の1日のスケジュールをたてる

まずは、自分のこうありたい理想の1日のスケジュールをたてます。
実現可能かどうかは置いておいて、どんな風に1日を過ごせたらいいのか、紙
に24時間枠を書いて、書き込んでいきます。

私も貪欲に、あれこれと理想を詰め込んで、書いてみました。


ステップ2:今の自分の現実のスケジュールを書く。

次は、実際に今自分が過ごしている1日のスケジュールを理想のスケジュールの
横に書いてみます。

理想との違いに少し凹みながら現実をちゃんと見て、把握します。


ステップ3:ギャップを明確にする。

理想と現実の1日のスケジュールが書けたら、その2つを見比べてみて、どこが違うのが、ギャップを埋められるためにどんな事が出来るのかを考える。

私が比べてみて気づいたのは、起床・就寝時間が毎日バラバラ、朝の時間を決めてないからどんどん時間が前倒しになっている、夜の過ごし方が雑、ということでした。

ギャップを埋めるためには、①毎日寝て起きる時間をなるべく同じにする、②朝何をするか大体決めておく、③夜は9時以降ネットをしない、ということを目標にしたいと思います。


ステップ4:例外プランを作る。

いくら頑張っていたって、日々過ごしていれば思うようにいく日ばかりじゃない。そんな時に、習慣をやめてしまうのではなく、あらかじめ例外プランを作っておくのがステップ4。柔軟に対応できるように、いい逃げ道をつくっておくって大事だ!

私は、飲み会や何か用事があって、決めた時間に寝られない時は、1時間遅く起きてOK!としました。

 

ステップ5:ベビーステップから始める。

何か新しいことをはじめる時って、とっても小さな一歩から始めるといいみたいですね。

最初に頑張りすぎて、息切れしてしまわないように、物足りない位からはじめて、長く少しずつ負荷を増やしながら続けていく方がきっといい。

私はステップ3のギャップを埋めるべく、 「なるべく決まった時間に寝るために、9時になったらスマホwifi を切る」をベビーステップにしてみます。

 

夜を制するものが、早起きを制する!

と、このように計画を立てるわけなのですが、その前に書かれていたのが、早く寝ることの大切さ。

「早起きする」となると、いかに朝起きるかということだけ考えてしまいがちですが、睡眠時間を確保しつつ早起きしたかったら、早く寝るように変えていかないといといけない。言われてみれば、当たり前だ!

しっかりと必要な睡眠時間をとりながら早起きするには、夜寝る時間を早めることが大事。

まず最初の3週間は、決めた時間に眠ることにフォーカスすること。そのあとに、決めた時間に起きることにフォーカスしていくことをお勧めしています。

 

しかし意外と早く寝るってのも難しい。これは、「ほー!」と思ったのですが、

早く寝るめには、”体温を下げて、暗い場所でリラックスする”

朝スッキリ起きるには、”太陽の光を浴び、体温を上げて刺激を与える”

のが効果的とのこと。(体温って関係あるんだ!)それに沿ったおすすめの朝・夜に出来ること/しない方がいいことも書かれています。

 

そしてもう1つ面白いと思ったのが、計画を立てる前に、朝・夜にどんな感情を感じたいか書き出してみるということ。これは考えたことなかった。

意外と朝と夜って、感じたい感情が違う。ちなみに私は、朝は、すっきり・わくわく・刺激・爽快感、夜は、満足感・リラックス・ゆとり、を感じたい。

それらの感情が得られるような、行動を折角なので一緒に取り入れていければと思います。

 

習慣は1つずつ、時間をかけて身につけていく。

本には、早起きを習慣化するには(脳が習慣だと認識する)だいたい3ケ月かかると書かかれています。

他の習慣は1か月だけれど、睡眠やランニングのように体の変化を伴う習慣は、長く時間がかかるとのこと。

この習慣化にかかる3ケ月を、4つの時期に分けてあり、それぞれの時期でぶつかであろう壁をどう乗り越えるか、アドバイスも書いてあります。

 

そしてもう1つ覚えておきたいのが、一気に2つのことを習慣化させようとしないこと。

2つの習慣を同時にやる際には、メインを早起きにして、サブの習慣はあくまで副次的にできたらいいもの、できなくても自分を責めないと決めておくのです。

 

ブログを書くことや語学の勉強も一緒に習慣にしたい!と思っていたのですが、
欲張りすぎず、あとからついてくればいいかなぁと思って、まずは早起きに身につけることに。

出来なかったことよりも出来たことにフォーカスして、自分にやさしく肯定的な姿勢で、挑戦していきたいです。


”早起きの目的は、毎日を充実させるため。”

「なんで早起きをするのか」その目的は、「毎日を充実させるため」と、本にはきっぱり書かれているのですが、本当にそうだなぁと。あくまでそのための手段なんですよね。

人によって”充実”が持つ意味は変わってくると思いますが、早起きしたら「やりたいことが出来る」ことによって、「満足感」が、「規則正しく生活する」ことで、「心地よさ」「ゆとり」が感じられる、と私は思っています。

早起きの目標は、「10時就寝の5時起き」です。実は、これを書いてる今日がチャレンジ1日目。昨日の夜は緊張して中々寝付けなかったけれど、朝は5時に起きれました。よしよし。

ちなみに私が今いるラオスの人々は、早寝早起きの人が多いです。大人の人に、「昨日何時に寝た?」と聞くと、9時・10時との回答が多し。

それで朝の活動開始も早い。早寝早起きが、いつも元気と笑顔の秘訣なのかも?

 

それでは、また!(^^)m

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おまけ

この記事を書いた日に、ひすいこたろうさんという方のメルマガで、「朝にキク言葉」という本が文庫化されるというお知らせが。

朝にキク言葉 朝にキク言葉
ひすいこたろう

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朝」という漢字をよく見ると、「十月十日(とつきとおか)」という字が組み合わさってできています。
「十月十日」――それは、生まれる前の赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる時間。
つまり、私たちは毎日朝を迎えるたびに新しく生まれ変わっているのです。
目を覚まして、また新たな人生を踏み出す今日という日のはじまりに、活力を与えてくれる珠玉のコトバたち。
ときにはクスッと笑えて、ときにはジンと心に響く、あなたの朝を彩る「読む目覚ましサプリ」が満載の1冊です。

いやー、いいシンクロ!