【ラオスの戦争の跡に触れる】3泊4日のラオス北部・シェンクワン旅行のまとめ。
サバイディー(こんにちは)
先日まで、ラオス北部の県、シェンクワンへ3泊4日の旅行へいってきました。ラオス南部へ旅行したときのように「うわ、めっちゃ好き!」っていう風にはならなかったけれど、書いて残したくなるようなことがたくさん出てくる旅でした。
この記事は4日間の記録と、他の記事へのリンクになっています。
シェンクワンといえばの、ジャール平原!
1日目
首都ビエンチャンから、15時発の飛行機で出発。
陸路でいくと10時間くらい山道を行くのですが、飛行機だとあっという間。30分ほどでシェンクワンへ到着です。
飛行機から見える景色。たくさんの山と平野。所々に、爆弾が落とされて出来たクレーターもみえます。
しかしラオスの国内線は高い。往復だと120US$くらいです。バスだと安いけれども、道が危ないということで、JICAから陸路は禁止されています。(そのアクセスの悪さから、「陸の孤島」と言われていたりいなかったり・・・)でも結構バックパッカーの人などは陸路で移動している人もいます。
あ、実際に来るまでのシェンクワンのイメージは、
- 寒そう
- 閉ざされててて、ちょっとさみしそう
- 山
- モン族のふるさと
- 不発弾
- 壷 (=ジャール平原)
というような感じでした。遠からず近からず?
気温は20度前後だけれど、標高が高いからかもっと寒く感じます。1月末に向けて、これからもっと寒くなるとのこと。ひぇーー
到着して、少し UXOという不発弾の被害者の支援団体のインフォーメーションセンターをのぞいて、シェンクワンで活動する5人の隊員さんと合流して夜ごはん。色々とシェンクワンでの生活や活動について聞く。
ピザがおいしい、お洒落な Banboozieというレストランにて。ここも、Lone Buffalo という支援団体の経営。スタッフのトレーニングも兼ねての営業だそう。寒くて、ビールに氷を入れる気にならない〜。
2日目
朝は、のんびりと散歩。霧がすごい。それにしても寒いです。ビエンチャンは朝の7時でもこの時期もう暑いのに、こちらシェンクワンは、厚手のウィンドブレーカーをはおってやっとちょうどいい位。
お昼前には、今回の旅のメインイベントである、対談インタビューを。
シェンクワン県で、青年海外協力隊として、バレーボール・サッカーを教えているスポーツ隊員のお2人とその生徒の3人(10代!)で「ラオスの今」というお題で話をしてもらいまいた。
普段関わる生徒さんは、自分と同じくらい(20代)かそれより上の公務員なので、10代の 学生の話を聞くのはとても新鮮。
今やっているスポーツの話や、学校での勉強の話。放課後や土日にどんなことをしてるのか、卒業してからのこと、シェンクワンに出来てほしいもの、などを話してもらいました。これから書き起こして、隊員冊子の記事にさせてもらいます。
そのあとは、同期の人が仲良くしている人の家ですこしお喋り。シェンクワンの人は、喋るのが早い!!!
そのあとは、メイン通りにあるUXO(不発弾)関係の施設、Quolity of Life とMAGへ。不発弾の影響が未だに残るシェンクワン。ベトナム戦争中に、ホーチミンルートの大部分がラオス国内にあったことから、アメリカからの爆撃の被害が多かったのはあまり知られていません。海外からの支援を受けながら、今でも除去作業が続いています。
展示やビデオを通して、改めてその被害を知る。
つい先月も、被害があった。
そして夜は、隊員の家で七輪バーベキュー。ビエンチャンでこれは中々できない贅沢です。星もきれいで幸せ。
3日目
この日は1日観光へ。シェンクワンのトレードマークとでも言える、ジャール平原へ。
ツアーに参加して、半日かけて今公開されているサイト1・サイト2・サイト3を巡ってきました。見渡す限りの壷・つぼ・ツボ。途中で「もう壷はいいです」ってちょっとお腹いっぱいになりました。笑
どこも見晴らしのよい場所にあるので、景色を楽しみながらも、不発弾の処理跡や塹壕、クレーターなどを目にして、戦争の跡を間近で感じました。
以前不発弾が埋まっていたのが、除去された印。
ツアーから戻ってきたあとは、シェンクワン隊員に紹介してもらい、市内で英語をおしえているラオス人の女性のところへ。自宅で、英語学校を運営しています。めちゃくちゃエネルギッシュな先生でした!そしてやっぱり話すの早いっ。
Salithsay English Development Centre(SEDC)
オーストラリアの人の男性もボランティアとして、ちょうど来ていたので一緒に発音の授業を受けさせてもらうことに。
シェンクワンは、この学校のようなラオス人によるものや、海外のNGO等が経営する無料の英語学校が、人口の割にかなり多くあります。行くまで全然知らず、驚きました。そして、ドライバーさんや観光施設の人も結構みんな喋れるし、南部に比べたら圧倒的に話せる気がする。まぁあくまで感覚なのですが。
UXO関係で、海外の支援が入っているのもあって、そこから英語の支援にも繋がっているのかな。
各英語学校は、外国人のボランティアを随時募集しています。もしシェンクワンに来た際は、参加してみるといいかもしれません。
4日目
朝から雨。寒い。久しぶりにトイレの便器に座って、「冷たっ!」ってなる。
県都ポンサワンから、15分ほど行ったところにあるカンカイという場所にある TTC (Teacher's Training Center : 教員養成校)にお邪魔させてもらいました。
田舎にある小さい学校かなぁと思ったら、自然に囲まれた”The キャンパス”という感じでちょっとびっくり。トイレなどの設備はいまいちですが、こんな環境で勉強したい!という、私的にはめちゃくちゃいいなぁと思うロケーション。
教室のすぐ外に山が見える。
突然の来訪にも関わらず、英語科の授業を見学させてくれました。
見せてもらったのは、English Teaching Methologyという、将来英語の先生になりたい学生たちが、教授法を学ぶクラス。1人1人が、用意したアクティビティーを皆の前で実施してフィードバックをもらいます。
意外と男子生徒の方が多い。
トゥクトゥクのおじちゃんを待たせていたので、2時間くらいしかいれませんでしたが、英語の先生に将来なる生徒がどんな授業をしているのか見れてよかった。誰かが何かを言うとクラス中が笑うような、朗らかな雰囲気。ただ高等教育で、「この内容かぁ」と思う部分もあり。またビエンチャン近郊にある TTCも見に行ってみよう。
お昼は、おいしいと聞いて無償に食べたくなっていた、インドカレー! Nishaというこじんありとしたインド料理屋さん。めちゃくちゃ美味しかった。
そのあとは、Mullberres というハンディクラフトを通して、女性の支援をしている団体のところへ。
Handmade fair trade products - Mulberries.org
ここでは、ラオスの特産品であるシルクの布ができるまでの過程を、見せてもらうことができます。広い敷地の中で、蚕の飼育・糸つむぎ、・染め・織りが行われています。
あの美しい布たちは、こんなにたくさんの過程を経て、はじめて形になっているのか〜〜〜。
同時に村の女性たちがここにトレーニングを受けてに来ています。技術をみにつけてそれぞれの村に持ち帰れるようにと、1993年から長い間トレーニングを提供しているそう。
そして、最後にトゥクトゥクのおじちゃんに裏切られ(来ない!)ぎりっぎりの時間で、飛行機に乗り込み、あっという間にビエンチャンに帰ったのでした。
3泊4日と、割と余裕をもって来たつもりでしたが、あと2〜3日位欲しかった!!他の郡も行きたかったし、なんなら温泉でゆっくりもありだったし、シェンクワンは思っていた以上に見所がありました。
夕焼け。
ラオスの戦争ってこんなに身近なものだったんだ。
ラオスに来て、ベトナム戦争中にラオスに多くの爆弾が落とされていたことをはじめて知ったのですが、特に多くの不発弾が残るシェンクワンに来て、「ああ、こんなにまだ戦争って、不発弾って身近なことなのか」と感じました。
シェンクワンで出会った人、またその家族や友達が、直接戦争や不発弾の影響を受けたという話を聞いたり。実際に不発弾が埋まっていた場所を歩いてみて。爆弾や兵器が、ディスプレイや日常品として使われていたり。皮肉なのか分からないけれども、「戦争の跡」が観光資源になっていたり、多くの人の仕事に結びついていたり。
町中が「戦争」といまだに繋がっているんだなぁ、と思いました。たった40年前のことなのか、もう40年前のことなのか。
あっけらかんと「(不発弾が全部なくなるのに)あと500年はかかるね〜(笑)」と笑いながらドライバーさんが言っていたな。うむ。
それでも少しずつ変わってきている、という声も聞きました。新しく立派な博物館や図書館が出来ていたり(中身はまだ出来てないけれど)、道路も建設されていたり。町を歩くと大小あるけれども、いたるところで建設が行われている印象を受けました。
今年オバマさんがラオスを訪れた際に、不発弾除去の支援額を大幅に増やすとも公言しました。
現在も不発弾が除去されて、公開できるジャール平原の範囲も広がっていたり。世界遺産に登録されたら、さらに多くの観光客がくると思います。
5年後、10年後はどんな風に変わっているんだろう。シェンクワン、また訪れてみたい。
シェンクワンのことやラオスの不発弾のことをもっと知りたいと思ったら、ぜひ他の記事(絶賛執筆中)も読んでみてください〜!
それでは!